手仕事としての甘酒──サンフランシスコの記憶と今に生きるもの

「私たちの体は食するもので作られているから」──20年近く前、シリコンバレーのメンターであった彼が、私に語りかけた言葉である。1978年にスタンフォード大学へ移り、AI研究からビジネスの世界へと舵を切ったその人は、シリコンバレーの成長を目の当たりにしてきた。だが同時に、暮らしにおいては「自分で作れるものは自分で作りたい」と繰り返し語った。

その精神は、彼のガレージでの光景に象徴されている。Montereyのワインフェスティバルに出展するため、庭で育てたピノを仕込み、ガレージを発酵の場とする姿。シリコンバレーを象徴する「ガレージ文化」が、研究やビジネスだけでなく、生活そのものへとつながっていた。そこには「成果」以上に「つくることの喜び」があった。

いま私は、座間で四代にわたり米作りを続ける友人の米と、地元の麹屋で仕込まれた米麹を手に、甘酒を作っている。温度を見極め、水加減を調整しながら、朝の一杯としていただく。ヨーグルトもまたR-1から仕込み、無糖で口にする日もあれば、蜂蜜をひとさじ垂らす日もある。どちらも、私の身体と日常を支える手仕事だ。

一見たわいもない営みのように思える。だが、手をかけ、待ち、出来上がりを確かめるその過程には「生きるリズム」が宿る。人と土地、記憶と現在、AI研究と生活文化──異なるものを響き合わせる縁の結び目が、そこにある。

甘酒を口にしながら、私はあのガレージの光景を思い出す。過去の記憶は思い出ではなく、今を導く羅針盤となり、私の手仕事を支えている。そして、この営みはやがて、未来の誰かにとっての「生きた記憶」となるのだろう。

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