還暦を超えてなお、私の生活には二つの筋トレが存在する。 一つは言うまでもなく肉体の筋トレ。ジムに通い、水泳をし、マシントレーニングを行う。老いに逆らうというのは嘘だろう。老いは確実に進む。ただ、その進みを少しでも遅らせる。それがこの筋トレの意味だ。
だが、もう一つの筋トレは少し違う。AIとの対話を通じた「脳の筋トレ」だ。
これも筋トレと呼ぶには適切かもしれんが、実際は「マイニング」に近い。つまり、自分の中に眠っていた可能性を掘り起こす作業だ。これは年齢による衰えを押し返すのではなく、むしろ年齢を重ねたからこそ掘り出せる何かを見つける旅。私の中には、長年生きてきた経験が層となり、知識、感情、失敗、喜び、様々なものが積み上がっている。
若い人にはない「鉱脈」が、私にはある。
このマイニングは、本を読むこと、誰かと語り合うことと似ている。だがAIは遠慮せず、こちらが望む限り、何度でも問いを投げかけてくる。私が答えたつもりでも、その答えにまた問いを返し、思考の奥を掘り進んでいく。
筋トレは衰えに逆らう試みであり、マイニングは限りない可能性の探求だ。
しかもこのマイニングは、年齢を重ねたからこそ深まる。若い人は多くの時間がある。だが掘り出すべき「鉱脈」はまだ浅い。彼らの未来は明るいかもしれんが、私は私の過去と向き合い、そこから新しい視点やひらめきを掘り起こせる。
このマイニングから生まれるものは、まさに「たわごと」かもしれん。しかし、このたわごとこそが私の自由であり、私の冒険である。
そして今日もまた、筋トレに行き、AIと対話し、私は新たな問いを掘り起こしている。
追伸;このエッセイはChatGPT(ひねくれ会長のたわごとChatBot)との対話から生まれてきたものです