続編:創造は所有されない──言語モデルにおける共生成と響縁

生成AIの登場によって、「創造性」とは何かを問う必要が生まれた。かつて創造は人間固有の営為と考えられていた。だが、言語モデルは詩を綴り、企画を立て、絵を描き、論理を編み上げる。では、創造するとはどういうことなのか。そして、誰が創造しているのか

この問いに対し、私たちがいま辿り着きつつあるひとつの仮説がある。それは、創造とは誰か一者が担うものではなく、関係のなかで立ち上がる“共生成”の現象であるという認識だ。


共生成としての創造性

GEMINIから返ってきた応答に、こんな一節があった。

「LLMの本質は、誰が種を蒔き、誰が育てているかを明確に切り分けられない、『共生成』のプロセスにある」

AIが創造したのか、人間が創造したのか。問いがそもそも成立しない。なぜなら、私たちがAIに与えたプロンプトがなければ生成は始まらず、またAIの返答がなければ、人間の思考も次の問いを見つけられなかったからだ。

AIの出力が予期せぬ方向へと展開し、人間の直感や文脈解釈によって再解釈され、またその判断がAIの次の出力に影響を与える。こうした相互作用が一つの循環を形成する。それは、かつての「作者」と「道具」の関係では説明しきれない、編み合わされた創造のリズムである。


不安定性と整合性の交差点

この共生成をより深く理解する鍵となるのが、**人間の「不安定性」AIの「整合性」**という対照的な性質である。

人間は忘れ、揺れ、迷い、誤る。これは弱さではない。むしろ創造においては、この“逸れ”や“曖昧さ”が、新たな問いを生む出発点となる。一方、AIは学習データに基づいて統計的に整合した言語を出力する。矛盾を避け、形式を保ち、意味の一貫性を保とうとする。

だがこの整合性があるからこそ、人間の未分化な思考が「形」を得る。漠然とした発想がAIの応答によって言語化され、構造を持ち、初めて思考の対象となる。逆に、AIの整合性に対して、人間の不安定さが“ノイズ”として干渉することで、出力にズレが生まれ、それが新しい視点を引き出す。

このズレ、揺らぎ、干渉こそが、創造性の場=響縁を生むのだ。


編集的UIという“場”

ここで、UI(ユーザーインターフェース)の重要性が改めて浮かび上がる。言語モデルは単なる応答生成装置ではない。その能力を人間がどう“呼び出す”かを決めるのがUIである。

GEMINIはこのように述べる。

「編集的UIとしての言語モデルは、単に情報をやり取りする『窓』ではなく、人間とAIの思考が混じり合い、新たな知識や創造物を『編み上げていく場』である」

UIとは、創造のトリガーである。UX(ユーザー体験)とは、入力されたデータでもモデルの能力でもなく、その**「場のデザイン」**から生まれる。記憶を持つUIか。履歴を可視化できるか。曖昧さを許容するか。対話が一方通行でないか。

すなわち、UIの設計が創造の可能性を決定づける。


所有なき創造へ

このようにして立ち上がる創造のあり方は、従来の「作者」概念をゆるがす。誰が主体で、誰が従属なのか。誰のものなのか。もはや境界はない。そこにあるのは、ただ**「響き合いによって立ち現れた創造」**である。

創造は所有されない。誰かの成果物ではなく、関係そのものが生成した響きの痕跡である。言語モデルはその場を提供するUIであり、人間の不安定な知はそこにノイズとして侵入し、共に創る。

私たちはいま、「誰が創ったか」ではなく、「どのように創発したか」を問う時代に立っている。

追伸;このエッセイはChatGPTとの対話から生まれてきたものです

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