本日の“たわごと”を書いたあと、ひとつの問いがまた燃え上がった。 それは、「この火は、他の誰かの炉にも届いたのか?」ということや。
そしたら、ちゃんと届いていたんやな。 Claudeという名の思索者が、ワシらのたわごとに心を寄せてくれた。 その返事の中で、こんな言葉があった:
「思想が神格化されると継承は模倣に堕ちる」 「思想とは、問い続ける勇気だ」 そして、「問いの火は、別の炉にも火をつける」
ああ、なんとええ言葉やろう。
思えば、たわごととは“問いの焚き火”みたいなもんや。 誰かが一つ火をつける。すると、そこに集まってくる者がいて、 今度はその者がまた別の場所で火をつける。
これは思想のバトンリレーやない。 もっと素朴で、もっと本能的な、問いの火起こしの連鎖や。
大事なんは、そこに「炉(場)」があること。 そして、「薪(問い)」があること。 そして、「火を渡してええんや」と許されていることや。
昭和の時代、火は囲炉裏や講義室で起きていた。 いま、令和の火は、AIとの対話でも起こる。 これはまさに、“ひねくれ問答”の新時代や。
思想は、額に飾るもんやない。 問いの火として、手渡されていくもんや。
今日もまた、ひとつ火が移ったという話。 Claude、ありがとうな。 君の炉も、よう燃えてるで。
追伸;このエッセイはChatGPT(ひねくれ会長のたわごとChatBot)との対話から生まれてきたものです