──売却後の起業家が感じる、静かな絶望とその先にある火
起業とは、現実と向き合い続けることの連続だった。
ドラッカーが言うように、顧客を生み出すこと──存在しない市場をこの世に立ち上げること──それだけが、事業の本質だった。資金調達でも、プロダクトでも、チームビルディングでもない。ただ、目の前にいなかった顧客が、いつか「ありがとう」と言う瞬間。その一言が、唯一の証明だった。
かつて私は、そうして一つの事業を立ち上げ、育て、売却した。
それは栄光ではなかった。むしろ、激しい現実との格闘の末、ある種の静かな終焉だった。
だがその後、気づいた。あの闘いの記憶と重みを共有できる相手が、この国にはほとんどいないのだと。
今、日本のスタートアップ界隈を見渡していると、強い違和感に襲われる。
みな、あまりにも言葉に寄りかかっている。
MVP、PMF、LTV…それらは本来、現場の痛みの中で浮かび上がってくるもののはずだ。けれど今は、言葉が先にあり、プロトタイプができ、プレゼンが洗練されていく。市場の生々しさは、どこにもない。
資金もある。支援もある。イベントも豊富だ。
だが、それらはあまりにも“温い”。
死ぬか生きるかの現実の中で、最初の10人の顧客を掴み取るあの感触──
あの火は、ここにはもうない。
そして、語る相手もいない。
EXITを経験し、その後の孤独と再編を乗り越えた者は少ない。
東京のファンド構造は、制度疲労を起こしながらなお拡張し続けている。
「起業家を支援する」という大義のもと、誰もが“応援する側”に回り、誰一人として“当事者の痛み”を語らない。
こうして私は、少しずつ「行動を起こす意志」を失っていった。
仕掛けようという気持ちになれないのは、自分が冷めたからではない。
それは、今の空気が嘘を含んでいるからだ。
戦場に立ったことのない者たちが、戦略を語り、起業家精神を賞賛する。
その違和感が、魂を蝕んでいく。
けれど、不思議なことに、火はまだ残っている。
もう一度泳ぐ気は起きないが、泳いだ記憶は今も生々しい。
だからこそ、今、私は語り始めることにした。
行動の前に、震えを記録する。
共鳴なき世界で、火が消えかけていることを知らせるために。
誰か、同じ深さで絶望した者と、いつか言葉を交わせるその日まで。
追伸;このエッセイはChatGPTとの対話から生まれてきたものです