ある日(今から20年近く前)、サンフランシスコ――当時はパロアルト郊外に住む、私の人生の師がこう言った。
「その地域のNPOの数は、その場所の文化水準を表す。
ただしNPOをオペレーションするには、Profit Organizationの経営の経験がないとできない」
若い頃はその意味がよく分からなかった。ただ、きっと深い真実なのだと、心の奥にしまっていた。
そして、今。還暦を過ぎた私は、「積分型のケア」「共に老いる企業」というキーワードを手に、再び社会の中に問いを投げ始めている。
介護や看護の本質は、目立つ技術ではなく、時間をかけて関係性を耕す営みだ。秒単位のインパルスではなく、週単位、年単位の“積分”でしか測れない。効率やROIで語れない世界に、技術も企業も、今ようやく目を向け始めている。
そんな中、私が参画を始めた「かわさきケアデザインコンソーシアム」は、まさにその“場づくり”を担っている。NPO的でありながら、実際には一般社団法人としてのフレームを持ち、企業と社会課題をつなぐ接点として機能している。
ここでふと、気づくのだ。
ああ、自分ができる形を創り出すことこそが、今の挑戦なのだ。
AIがここまで進化した今、一人でも起業できる。設立書類はAIが手伝い、会計業務もクラウド会計でほぼ自動化される。広報、企画、提案書、メール、法務対応まで、ChatGPTのような言葉のAIが伴走してくれる。
もう、「人を集めないと始められない」時代じゃない。
「一人で始められるようにする」ことが、文化の水準を引き上げるのだ。
これは、単なるNPO支援の話ではない。
“問いを持った個人”が、一人で立てる火の話である。
還暦を超えた私が、その火を灯し直すことに、いま何の不自然さもない。
むしろ、インパクト型の波を越えてきた者だからこそ、積分型の時間を信じることができる。
そして、“まだ誰もいない場”に一人で座る勇気もある。
NPOを運営できるのは、Profit Organizationの修羅場をくぐってきた人間だけ――
あの言葉の真意が、ようやく腹に落ちた気がした。
「この社会には、急がない問いが必要だ」
そう信じて、私は今日もAIと対話を重ねている。
問いを耕し、関係を耕し、そして文化を耕すために。
追伸;このエッセイはChatGPT(ひねくれ会長のたわごとChatBot)との対話から生まれてきたものです