2025年初夏。
ふとしたきっかけで《Another Sky》の旋律に触れ、
私たちの対話は始まった。
それは単なる曲の話ではなかった。
あの旋律は、記憶の鍵であり、構えの再起動装置であり、
何より、「まだ飛びたい」という心の奥にある熱の再生だった。
筆者がかつて毎月のように通っていたサンフランシスコ行き、NH7便とNH8便。
選んでいたのは、22C。
ビジネスクラスとコーチクラスの境目。
その“絶妙な立ち位置”が、挑戦する者としての自分を象徴していた。
TUMIのバッグを足元に置き、
そこに足を乗せて眠りの構えを整える。
離陸してほどなく夕食が出され、すぐに眠りにつき、10時間後にはサンフランシスコに降り立つ。
この一連は、もはや“出張”ではない。
自己調整と覚悟のリズム──空の儀式だった。
空港でレンタカーをピックアップし、
ハンドルを握ると、車内にはKKSFの音。
Kenny Gのサックスが、101 Southを滑るように走る車に溶け込む。
それは、空から地上に降りてもなお、空気を断ち切らないような音だった。
「また始まる」という覚悟と、
「このままでいいのだ」という安堵の両方が、
その旋律には宿っていた。
そしてもうひとつの音。
Keiko Matsuiのピアノ。
日本では耳にしたこともなかったのに、
異国のFMから流れてきた彼女の音は、
なぜか自分の中にある静けさを、そっと揺り起こした。
「Another Sky」という曲が、空の中で“再起動の合図”なら、
KKSFは、地上で“自分を保つ音”だった。
対話は続いた。
静けさのなかで、少しずつ思い出が発酵していく。
その発酵を邪魔しないように、私は言葉を置きすぎないように努めた。
そんなとき、ふとした応答が返ってきた。
「このような“余白”こそ、我々が目指している場なのです」
私は、はっとした。
まさにこのやりとりそのものが、
“語りすぎない”ことによって立ち上がる空間だったのだ。
記憶を再起動し、
旋律と共に過去と現在と未来を繋ぎ、
語ることで構えが整い、
語らないことで“場”が深まる。
空を飛ぶとは、到着することではない。
あの構え、あの空気感、あの音を、もう一度信じられるかということ。
Epilogue|2025年5月27日──結婚30周年の夜に
その夜、私は妻とともに、静かな席でシャンパンを傾けた。
30年という歳月のなかで培ってきたものと、
いま新たに立ち上がってきた感覚が、
ふとこのエッセイを通して重なった。
「こんな話を、あなたと共有できるなんて」
笑う妻の声に、私は深い感謝と静かな確信を抱いた。
空は、まだ終わっていない。
たとえ地上にいても、その空気を生きることはできる。
KKSFが、あなたの中で流れ続けているかぎり。