「構えの継承 ── 静けさに乗るということ」


ひとは歳を重ねるにつれ、
速さではなく、静けさに身を委ねることの意味を知っていく。

かつて、ハンドルを握る手は意志の延長だった。
行き先よりも、どう走るかに心が躍った。

だが今、求めるのはそうした高揚ではない。
むしろ、何も主張せずに、自分の速度で、心が凪いでいくような移動

最初に選んだのは、
軽やかで、しかし品を崩さぬ静かな相棒だった。
疲れず、無理せず、それでいて気配を整えてくれる。
「何も起こらない」ことが、どれほど豊かであるかを知った数年だった。

その先には、もう少しだけ包まれたくなるような空間が欲しくなった。
同じ速度でも、車内の呼吸の深さが違う。
長く走っても、どこにもひずみが残らない。
まるで、クルマがこちらの身体のかすかな変化を、
先回りして受け止めてくれているようだった。

そして、もうひとつ先へ。
もうこれで、十分なのだと思えるような一台に出会いたい。
どこかに行くためではない。
乗ることで、いまの自分を確かめるような時間がほしい。

音が消え、振動も消え、
ただ、自分の呼吸だけが車内に浮かんでくる。
“構え”が、車そのものに移り住んでいるような感覚。

そのとき私は思うだろう。
「ここまで、ちゃんと選び続けてきてよかった」と。

そして、もしその先に小さな一台を迎えることがあっても、
それは格下げではない。
構えをほどいて、静かに日常に溶けていく自由のようなものだ。

車は移動のための道具でしかない。
でも、丁寧に選び、乗り継いでいけば、
人生のなかに、**静かに続く“時間の風景”**になる。

私は、そうやって、車を選んでいきたい。

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