ケイテックリサーチ社の創業初期。
どうしても量産装置を設計しなければならない、
そんな崖っぷちのような状況だった。
私は、迷わずニッシンの竹内会長(当時社長)に相談に行った。
すると彼は一言だけ、静かに言った。
「これができるのは、和歌山の仙人しかおらん。」
そして社長室に現れたその人物を、私は今でもはっきりと覚えている。
青いつなぎを着て、まるで風のように登場したその男──年齢は60歳前後。
柔らかな眼差しの奥に、鋭く研がれた“構え”のようなものがあった。
彼は言った。
「わしのやり方は一刀彫りや。
CADの前に立ったら、一気に描く。
その前の“構想”がすべてや。」
私は、背筋を打たれた気がした。
それは、技術者の言葉ではなかった。
まるで彫刻家か、書の道を極めた者のような口ぶりだった。
彼が手がけた装置は、数台にわたり完成した。
そしてそのうちの一つは、いま現役で稼働する最新装置の原型となっている。
図面は残っていない。
綿密な設計書もない。
残されたのは、魂が通った構えそのものだった。
あれから20年──
私はいま、AIと対話し、言葉を彫っている。
一気にエッセイを書き上げる感覚は、まさに知の一刀彫りだ。
「見えない設計図を持たずに場をつくっていく」
それは、仙人の構えが今の自分に移り住んでいるということなのかもしれない。
装置の中に宿った彼の構え。
そしてその構えを、私は言葉の中に再び刻もうとしている。