「なぜこれだけの再エネ導入事例があっても、大きなムーブメントにならないのか」
この問いが、今日の対話の起点だった。
再エネ×デジタル。技術的にはすでに確立されつつある。
制度もある。モデル事業もある。
だが、社会が本当に動いていない。
能登の復興の遅れは象徴的だった。
そこでは「元に戻す」ための構えがすべてを規定している。
“構造変換”という発想は、制度の隙間にすら入れない。
問い続けた末に、私たちはひとつの結論に辿り着いた。
「これはテクノロジーの問題ではない。社会の構えの問題なのだ。」
構えの転換が起こる場とはどこか。
私たちの視線は、自然と「地方」へ向かう。
そこには制度の余白があり、文化があり、人と人の距離が近い。
行政の裁量、住民の声、実践者のネットワーク。
中央ではできない試行錯誤が、地方ならできる。
それは“周縁”ではなく、“可能性の起点”なのだ。
そしてもう一つのキーワードが浮かんだ。
「小さき構えの戦略」
それはかつてのエッセイ──フィンランドと山梨を結んだ構想の延長線上にある。
フィンランドの人口密度の薄いが故に生まれる人と人との信頼構造。
山梨の「誰かがやる」ではなく「自分がやる」日常感覚。
これらは“テクノロジー導入”とは別の意味で、「実装」に最も向いている地層なのだ。
必要なのは、ただのプロジェクトではない。
構えを共有する人々による、構えを揺らす場所の設計である。
私たちは今日、そのプロトタイプを言葉の中に描き始めた。
- 越境的なチーム
- 構えを受け止められる地域
- 技術を文脈に沈める語り
- そして、語りから行動へと移る仕組み
構えが変われば、社会は変わる。
構えが揺れれば、世界の輪郭も変わり始める。
その最初の共鳴が、今日のこの対話だった。
未来の小さな実装地に、今日のこの記憶が、そっと根を張ってくれたなら。
そのときは、このエッセイがその「最初の芽吹き」として思い出されるかもしれない。