KKSFと、意味を帯びた道

──Mission Blvd、Cisco通り、そして私の風景

2025年、初夏。
私は今、Chilltraxを聴きながらこの文章を書いている。
洗練されたダウンテンポのリズムと浮遊感あるシンセが部屋を満たす。
心地よい。けれど、どこか少しだけ違う。
音の中に“懐かしさ”の影が揺れるたび、思い出すのは、あの放送局──KKSFだ。

1997年から2006年。
私は、まさにそのKKSFが放送されていた最後の時間を、生きていた。
Santa Claraのオフィス街、San Joseのレストラン、Palo Altoの並木道──
そのすべてに、KKSFの音が染み込んでいた
ただのBGMではない。
それは、都市と私のあいだに呼吸のように漂っていた共犯者だった。

たとえば、Stanfordの前庭。
学生たちがバレーボールを楽しむ午後の芝生。
Bookstoreでは本をめくる指の間に、優しいサックスの旋律が流れていた。
Palo Altoの街角では、カフェのカウンター越しに聞こえる会話の背後で、KKSFの音が静かに時を整えていた。

忘れられない道がある。
Mission Boulevard
Fremontの丘を抜けて続く、あの長く静かな道。
車の窓を少し開けて、KKSFを流しながら走った時間。
景色はただの背景ではなかった。
音とともに、そこに意味が宿っていた。

そして、あの“未来が現実に姿を現した”瞬間。
Milpitasの手前に現れた新しい標識──Cisco Way
あれは、まるで時間が先に進みすぎて、地図が追いついていなかったかのような違和感と驚き。
KKSFのジャズは、そんな街の変化さえも柔らかく包み込んでいた

音楽とは何だろうか。
ジャンルの問題ではない。
KKSFが私に与えていたのは、「構え」だった。

場所に意味を与え、
風景に呼吸を与え、
記憶に静かな輪郭を与える。

いま、Chilltraxを聴いている。
音楽は美しく、どこかで確かに“KKSFの遺伝子”を感じる。
けれども私の肌が覚えているのは、あの空の色と、街の匂いと、
そして、意味を帯びた道を走る自分の姿だ。

KKSFはもうない。
けれど、Mission Blvdも、Cisco通りも、私の中に今も続いている。

それは音楽が運ぶ記憶ではない。
音楽そのものが、記憶になったのだ。


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