Yanniの旋律が流れたのは、ただの車中のひとときだった。
けれど、その音楽は私と妻に30年前の記憶を呼び戻した。
新婚旅行で訪れた西海岸。仲間のAbdiがくれたCDとビデオ。
贈り物というより、文化の断片を託されたような気がした瞬間だった。
今、あの時の空気を思い出しながら、台湾のVanessaから届いたメッセージを読み返している。
彼女は起業を志し、今、まさにその第一歩を踏み出そうとしている。
そして、ベルリンにいるMoe──沖縄でビジネスをしたいという夢を、旅立ちの前日の喫茶店で語ってくれた。
どちらもまだ実現していない、けれど確かに芽吹いている“未来の予兆”たちだ。
かつて、South England出身のCarlと一緒に働いていた。
「なぜエジンバラに?」と聞いたら、彼はこう言った。
「イングランドには半導体の仕事はない。それだけだ。」
その論理のシンプルさに、私は静かな衝撃を受けた。
そしてこう続けた。「車はアウディ、理由は性能。
“Sure”と答えるのは、西海岸の人たちに合わせてるだけ。イギリス人はYesとしか言わない。それがEnglish Englishだ。」
“合理と柔軟を両立する構え”──それが彼の美学だった。
遠くで聞いた旋律、朝の喫茶店、異なる“Yes”。
これらは私にとって、ただの思い出ではない。
世界と接するとは、制度や語学力ではなく、“人間の構え”に関わることなのだと教えてくれた断片たちだ。
私は、事業を立ち上げ、終わらせ、そして今、次の世代の挑戦者たちに寄り添おうとしている。
VanessaやMoeのような30代が、私を頼ってくれるということ。
それは光栄であると同時に、こちらが再び“始める者”として構えを取り直す機会でもある。
今、私たちはどんな“場”をつくるのか?
6月のMt.Fujiイノベーションサロンは、「グローバル人材に必要なスキル」をテーマとしている。
けれど、私が本当に伝えたいのは「スキル」ではない。
どこで、誰と、何を感じたか──その記憶の総体が、人を“グローバル”にしていくということ。
そしてそれを育むためには、「制度の外」で震えるような場が必要だ。
車中、喫茶店、Slack、空港、Zoom──形式は問わない。
けれど、そこには必ず「未定義の可能性」が流れていなければならない。
私は、そんな場を、これからもつくりたい。
そして次の挑戦者たちが、自らの地図を描けるように、心地よい“余白”と“ワクワク”を用意しておきたい。
Yanniの曲が静かに終わるように、
未来は、静かな共鳴から始まるのだ。