米国の大学、特にハーバード大学を中心に、国際学生を取り巻く状況が大きく揺れている。
政治の力が、教育の場に直接干渉し、留学を目前に控えた多くの若者の未来を、理不尽な形で曇らせている。
それは、まるで天災のようだ。
努力や誠意ではどうにもならない「外からの力」が、一人ひとりの意志の上に覆いかぶさる。
今年9月から渡航するはずだった学生たちの不安と戸惑いは、言葉にし尽くせないだろう。
だが、私は思う。
これは単なる「レジリエンス(回復力)」という言葉では片付けられない。
夢を描き、準備をし、動き出した者にしか味わえない、この不確かさと痛み。
それは、挑戦する者にとって避けがたい「裂け目」なのだ。
夢が、期待通りに進まない。
努力が、正面から否定される。
それでも、君は前に進むのか。
いや、進むことすらできない時間を、どう生きるのか。
私自身も、遠い昔、挑戦の中で何度もその「裂け目」に立たされた。
言葉にもならない焦りの中で、出口のない空白を抱えながら、それでも小さな希望だけを手放さずにいた。
それは、結果として何かを学んだ、などという簡単な話ではない。
もっと静かで、もっと深く、もっと痛みを伴った時間だった。
いま君がいるその場所に、
「意味」が訪れるのは、ずっと後のことかもしれない。
けれど、私は願っている。
この裂け目の時間が、君の未来のどこかで、かけがえのない起点となることを。
君の夢は、政治に屈するためにあったのではない。
ただ、社会という自然のなかを進む以上、予測不能な風や波は避けられない。
冒険者とは、風が変わることを知っている者だ。
そして、構えをもって生きる者でもある。
世界は時に理不尽で、
時に優しい。
そのあいだを、ただ歩いていく私たちの姿に、
私は静かな敬意を抱いている。
どうか、君の灯が消えぬように。
願いとともに、私はこの言葉を贈る。