――平出和也さんと山崎哲秀さんの記憶から
序
冒険の“終わり”は、誰かが決めてくれるものではない。
それは、どこまでも自分で決めるものだ。
挑戦の形を変えること。
やめること。
新しい形で歩み直すこと。
それらは一見「終わり」のようでいて、
実は「生き方の構え」を問う、もっとも難しい判断なのだと思う。
私自身、事業という名の冒険を一つ終えたとき、
次に広がる風景のまぶしさと、微かな喪失感のなかで、
初めて「終えるという行為」が持つ重みを知った。
そんな折、二人の冒険家と出会った。
グリーンランドの氷原で犬ぞりを操りながら、未来のために気象データを収集し続けた男――山崎哲秀さん。
そして、K2西壁という世界最難関のルートに挑み続けたアルパインクライマー――平出和也さん。
彼らとの出会いは偶然だった。
しかし、今思えば、その偶然は、
「終わりを決める」という問いを私の中で深めるために、
静かに用意されていた時間だったのかもしれない。
第一章:静かな昼食――山崎哲秀さんとの対話
山崎さんとの出会いは、テレビ番組を通じてだった。
氷の国・グリーンランドを犬ぞりで横断しながら、
ひとり、淡々と観測を続ける姿が画面の向こうに映っていた。
それは過酷というより、むしろ静謐だった。
その姿に私は強く惹かれ、思わず連絡を取った。
すると、ちょうど松本に滞在されているという。
帰りに八王子で途中下車していただき、昼食を共にすることが叶った。
初対面であることを感じさせないほど、会話は自然に流れた。
彼の語り口は穏やかで、熱は内に抱かれていた。
印象的だったのは、彼の夢だ。
**「グリーンランドに、日本の気象観測拠点をつくる」**という構想。
単なる探検家ではない。未来世代のために、自らの命を賭けて環境データを残そうとする科学の実践者だった。
「今度、ぜひシオラパルクに来てください」
そう誘ってくださった言葉が、今も胸に残っている。
私は心のどこかで、彼の夢の一部を支えたいと思った。
だが、その思いは届かぬままになった。
2022年、山崎さんはグリーンランドで消息を絶った。
第二章:立川で交わした言葉――平出和也さんとの記憶
平出和也さんとは、立川の石井スポーツで偶然に出会った。
ご著書の出版記念として開催されていたサイン会。
たまたま立ち寄った私たち夫婦は、彼の本を手に取り、サインをお願いした。
店内が空いていたこともあり、30分ほど会話の時間をいただけた。
そのとき、シスパーレの話、そして今後の挑戦としてK2西壁を目指しているという話を、等身大の言葉で語ってくださった。
私は訊ねた。
「K2の次は、どうするのですか?」
彼は少し笑って、こう答えた。
「まだ考えていないんです」
その言葉が、今も私の中で静かに響いている。
私自身、冒険の第一章を終えたあとで、少しずつ次の風景を見つけはじめていた頃だった。
だからこそ、彼が「まだ考えていない」と語ったその一言に、共感と同時に、一抹の不安も覚えた。
挑戦を続けてきた人が、その形を変えるとき──
その決断には、想像以上の静かな葛藤があることを、私は知っていたから。
そしてそのK2西壁で、彼は帰らぬ人となった。
第三章:終わりをどう決めるか
冒険は、始めることよりも、終わらせることのほうが難しい。
なぜなら、そこには「手放す」という行為が伴うからだ。
夢を、習慣を、アイデンティティを、あるいはそれまでに築き上げた世界そのものを。
山崎さんも、平出さんも、まさにその転換点にいたのだと思う。
新しい挑戦のかたちを模索しながら、しかしまだ「次」は見えていなかった。
だからこそ、私は思う。
彼らが語りきれなかった「その次のかたち」を、いま私たちが引き継いで考える必要があるのではないかと。
挑戦の物語は、語られたところで終わるのではなく、
**「どのように終えたか、あるいは終えられなかったか」**という記憶の中でこそ、次代へと受け継がれるのだ。
終章:静かなる継承
私は、もう彼らに問いかけることはできない。
それでも、あのときの対話は、私のなかで生き続けている。
そして思う。
冒険の終わりをどう決めるか。
その問いを生きること自体が、私たちが継ぐべき、新しい挑戦なのかもしれない。
それは、もはや山の上でも、氷原の奥でもなく、
日々の暮らしの中にひそむ、小さな選択の積み重ねの中にある。
けれど、その一歩一歩もまた、確かな冒険なのだ。
ふたりが残したものは、消えてなどいない。
私たちのなかに、確かに燃えている。