「会社のトイレで泣いていました」──そんな言葉から始まる東洋経済ONLINEの記事(2025年6月1日掲載)は、今の若者たちが抱える違和感と、その先にある希望の兆しを私たちに突きつける。記事に登場する瑠奈さんは、新卒で就職した企業をわずか3カ月で退職代行を通じて離れた。当初はきちんと引き継ぎ、挨拶をして辞めたいと考えていたが、それすらかなわないほどに精神が追い詰められていたという。
だが、この物語は「逃げ」の記録ではない。むしろ、これは「問い直し」の始まりである。
かつて日本は、社会の“正解”に忠実であることが生き残りの道だった。努力、忠誠、同調──そうした価値観が支配していた昭和・平成の職場には、“昭和の亡霊”のような習慣や文化が今も根深く残る。記事に描かれた上司の言動も、実はその亡霊に操られるようにして振る舞っていたのかもしれない。悪意ではなく、構造の中で生まれた無意識の模倣。それは“加害”でありながら、同時に“被害”でもあるのだ。
だからこそ、この亡霊の連鎖をどこかで断ち切る必要がある。
その鍵となるのが、「事業承継」という小さな営みである。今、私たちが関わっている家族経営の現場──たとえばMt.FujiイノベーションエンジンやLanding Pad Tokyoで進行しているプロジェクト群──では、多くの経営者が50歳前後、次の後継者はまだ学生か、社会に出たばかりの世代だ。だが、この15〜25年という時間軸こそが、構造の再編集にとって決定的に重要な“熟成期間”になる。
そして私は確信する。退職を経験した瑠奈さんのような若者たちこそ、次代の後継者たり得るのだと。
なぜなら彼らは、「なぜ働くのか」「何を大切にしたいのか」という問いをすでに生きている。彼らが持つ“違和感を言葉にする力”や“共感の回路”は、フィンランドやポルトガルといった、小さな国家が実践している「関係性をベースとした社会づくり」とも響き合う。そこでは、成長よりも共創が重視され、競争よりも共感が軸となる。世界の各地にある「縮小社会の実験場」と、今の日本の若者たちは、静かに共鳴しているのだ。
グローバル人材とは、英語が話せる人ではない。
「社会の構造と自分の感性のあいだで揺れた経験」を持ち、それを「問い」として持ち続けられる人のことだ。
来たるMt.Fujiイノベーションサロン(2025年6月19日)では、「グローバル人材に必要なスキル」というテーマが掲げられているが、そこで語られるべきは、まさにこうした**“共感と構造編集”のスキル**であるはずだ。
退職とは、逃げることではない。
それは、社会に対して「自分のままで生きられる場を求める」最初の問いである。継承とは、引き継ぐことではない。
それは、「何を終わらせ、何を始めるか」を再編集する創造的なプロセスである。
今、その二つの流れが、静かに交わろうとしている。
社会を変えるのは、派手な改革でも、巨大なプロジェクトでもない。
一人ひとりが、自分の傷を自覚しながら、それを未来に翻訳していく営みこそが、最も確かな変化の力になるのだと私は信じている。
参考文献:
中たんぺい「『会社のトイレで泣いていました…』新卒入社3カ月で退職代行を利用した彼女の決断」
(東洋経済ONLINE, 2025年6月1日)
https://toyokeizai.net/articles/-/879896