「今の時代、ハードウェアのスタートアップは難しいですね。」
最近、そうした言葉を何度となく耳にする。私自身も、その難しさをひしひしと感じている。技術が正しくとも、それが導入されるとは限らない。実証の壁、制度の壁、資金の壁──越えがたい山が、以前よりもさらに複雑に連なっているように見える。
コロナ以降、その傾向はますます顕著だ。人が動かず、物が届かず、未来を語る余白も削がれた。社会全体が「安心・確実・再現性」を求め、リスクを許容する力を失いつつある。
それでも、私は思う。それでも、やる意味はある。
ただし、やり方を変える必要がある。
かつては、「強い地域」と組むことが王道だった。
米国、中国、イスラエル──潤沢な資本、洗練されたエコシステム、桁違いのスピード。
その背景には、グローバル化という単一の世界潮流があった。
世界は一つのルールで動いていると信じられていた時代。
テクノロジーも資本も人材も、国境を越えて流動し、
“どこでつくるか”よりも、“どの市場で拡大できるか”が重視された。
当時のスタートアップにとって、「強い地域」と組むことは
自らの成長を加速させ、グローバルな正統性を得る唯一の道筋だった。
だが今、それらの地域と組むことは、成果と引き換えに「問い」を手放すことに等しい。
技術は実装されるが、その構えは飲み込まれていく。
まるで巨大な潮流に流されるように。
だからこそ私は今、あえて“まだ火のついていない場所”に目を向けている。
東欧──工学の伝統を持ちながら、いまだ産業再構築の途上にある国々。
ノルディック──倫理と技術が交わる余白があるが、マーケットとしては成熟していない地帯。
スペイン・ポルトガル──都市と田園、歴史と革新が共存する、静かな再編集の現場。
これらの場所には共通点がある。まだ答えがない。まだ市場がない。
だが、“問いを共に育てる”構えが残っている。
そしてもう一つの条件──スタートアップが持つ“技術そのもの”が本物であること。
そこに嘘や飾りは要らない。構えと技術の両方が、まだかろうじて信頼されうる地域が、世界には残っている。だからこそ、彼らと「同盟」を組むことができるのではないか。
それは、技術を売るための連携ではない。
問いを共に背負うための、非・帝国主義的なスタートアップ連盟のはじまりかもしれない。
ムーブメントは、中心から始まるとは限らない。
むしろ、火がついていないからこそ、よく燃える。
そう信じて、私は今日も周縁を見ている。
追記:「解像度の低い確信」としての直感
私がいま見ているものは、決して輪郭のはっきりした未来ではない。
むしろ、まだ名前も形も持たない、うごめく気配のようなものだ。
論理で証明できるわけではない。数値で示せるわけでもない。
だが、確かに「何かが起きる」と感じている。
それは、もしかしたら社会の周縁に滞留している“熱”のようなものかもしれない。
まだ制度にも言語にも包摂されていない、小さな技術、小さな問い、小さな実験。
それらが静かに、だが確実に、燃焼の準備を始めている。
いま私たちに必要なのは、すぐに評価しようとする目ではなく、
まだ見えぬ構えを、共に待ち、共に耕す感覚なのかもしれない。
それが、たとえどれほど不確かなものだとしても──
今この時代に、「まだ火のついていない場所」を見つめ続ける意味は、きっとある。