もう一度、音の橋を渡る──昭和の終焉とクラシックの声

今、ベートーヴェンの《悲愴》が流れている。
ピアノの低音が静かに鳴ったかと思うと、すぐに感情の波が押し寄せる。
若い頃の私は、この冒頭を「悲しみの宣言」として聴いていた。
だが今は違う。
そこにあるのは、ひとつの時代を引き受けた者が、それでも前に進もうとする構え──そんな音だ。

昨年末、サントリーホールで聴いた第九。
あれも東京交響楽団の演奏だった。
そして今、再び彼らの演奏に偶然のように出会い、7月には都響でブラームスを聴く予定がある。
音楽が私に道を示している。そんな気がしてならない。

若い頃は、何もかもを力で動かそうとしていた。
結果を出し、組織を回し、未来を切り拓くために。
けれど今は、ただ音に耳を澄まし、風のようにやってくる縁に心をひらくことの方が、大切に思える。

ベートーヴェンが《悲愴》を書いたのは、彼自身の聴覚がまだ健在だった頃だ。
しかし、すでに彼の中では、音を“響き”としてではなく、“構え”として捉え始めていた。
この曲は、古典派とロマン派のはざまで書かれた。
まさに、「橋」なのだ。
時代の境目に立ち、まだ名づけられていない未来に、音を差し出した作曲家の手のなかで。

もう一度、音の橋を渡る──昭和の終焉とクラシックの声(後半)

昭和という時代は、音でいえばフォルテだった。
勢いよく立ち上がり、エネルギーに満ち、前に進むことを美徳とした。
私も、その音の中で育った。
社会も組織も、どこかで「音を鳴らす」こと──それも大きく、強く、響かせること──が良しとされていた。

だが、ベートーヴェンが残したのは、フォルテだけではない。
その内側には、静かなピアニッシモがある。
聞き逃してしまうような弱い音、しかし耳を澄ませば確かに存在する「内なる音」。
今の私は、むしろその音に、未来の兆しを感じている。

令和の時代を生きる若者たちは、もう腕力では動かない。
力で引っ張るのでも、効率で裁くのでもなく、
彼らは、日常の選択の中で、静かに「別の構え」を選び始めている。
それは、ベートーヴェンの後を継いだブラームスがしたように──
激しくなく、だが深く、音を構築していくような姿だ。

だからこそ、私たち──昭和から平成を歩いてきた世代に求められているのは、
かつての音を繰り返すことではない。
その時代に鳴らされていた音に、今、別の響き方を見出すこと。
そして、次の世代と共に「音の橋」を渡り直すことなのだ。

音楽は、変わらないようでいて、常に変わっていく。
同じ譜面でも、演奏されるたびに違う響きを纏い、
演奏する者の人生と、聴く者の構えによって、その意味を変えていく。

今、私にとってのクラシック音楽とは、
過去の遺産ではなく、未来への問いかけだ。
そしてその問いに、耳を澄ませ、心をひらき、
もう一度、音の橋を渡っていこうと思う。

昭和が終わった。
その静かな終焉の先に、
聴くことからはじまる、新しい物語が待っている。

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