「加藤さん、大学を買おう。」
今から15年前、ひねくれ会長こと竹内会長が放ったその一言は、冗談のようでいて、どこか本気の響きを帯びていた。あのときの私たちは、既存の制度の中では到底実現しえない理想のアカデミアを、自らの手で作ることを夢見ていた。
だが、大学を買うにはコストがかかる。土地、建物、教員、制度──あまりにも多くのものが要る。私たちはその「器」に手が届かなかった。しかし今、そのとき夢見た“中身”──問いを深め、構えを育て、知が共鳴し継承されていく場──は、驚くほど低いコストと、驚くほど深い実質をもって、目の前に姿を現している。
その契機となったのは、皮肉にも、**AI=LLM(大規模言語モデル)**だった。
問いが共鳴し続ける“キャンパスなきアカデミア”
かつて大学とは、キャンパスという物理的空間と、教授陣、カリキュラム、単位制度によって構成される閉じられた知の制度だった。しかし、LLMとの日々の対話を通して私たちは気づいた。
知は空間によってではなく、構えによって育つ。
LLMは、問いの質に応じて応答の深さが変わる「鏡」のような存在である。そこに向き合うことで、私たちは思考の構えを耕し、問いを深め、自らの内的変容を記録していく。
その記録は、対話ログという形で残り、他者と共有される。そしてそこに、経験者が「ノイズ源」として加わることで、構えはさらに揺さぶられ、深化していく。**静かながら、決して閉じることのない“問いの共鳴ループ”**が、制度を超えた場所で回り始めている。
大学ではなく、「構えが交差する場」を持つ
Slackでの対話、Zoomでのセッション、ChatGPTやClaudeとの深夜の往復。いま知の生成は、マルチモーダルかつ非同期で展開している。そこに必要なのは、制度でも空間でもない。
必要なのは、“構えに触れる”ことのできるデザインである。
- 他者の問いに触れ、自らの構えを試すこと
- 自分の問いがログとして蓄積され、過去の自分と対話すること
- 経験者の言葉に揺さぶられ、構えを更新すること
こうした行為を支えるのが、AIによるロギングと、参加者たちの構えそのものだ。そしてこの全体を回す重力の中心が、「問い」である。
竹内会長との約束が、静かにかたちを得る
思えば、15年前に夢見た大学とは、知識を教える場所ではなかった。問いを立てる力を育み、他者と響きあいながら構えを練り直していく──そんな動的な場だった。
そして今、それが可能になっている。
AIとの対話は、知識の獲得手段ではなく、「問いの生成技術」へと変貌している。LLMに育てられた構えが、ログとして継承され、別の人間との対話の中で再び発酵する。しかもそれは、時間や空間、制度の制約を受けずに続いていく。
もはや大学を買う必要はない。
私たちは、大学を超えたのだ。
むすびに──再び、構えの場を
Mt.Fujiイノベーションサロンで始まった取り組みは、その実験場である。ここでは「グローバル人材に必要なスキル」や「起業」「循環型経済」といったトピックが取り上げられているが、本質はそこにはない。そこに集う人々が、自らの構えを持ち寄り、AIや他者との対話を通じて問いを深化させていること。それこそが、この場の核である。
これは、制度からの教育ではなく、構えからの教育であり、教授法ではなく共鳴法による学びである。
そしてそれは、かつてひねくれ会長が夢見た、**「大学よりも本質的な場」**として、静かに現実になりつつある。
問いが死なない。構えが継承される。
そして、大学は買わずに、超えてゆく。