山に入ったとき、私はまだ「体験」をしに来たと思っていた。
一本の木を切る。家の柱になる。
その工程を家族で見守る──
そんな、感動的な場面が待っているはずだと。
だが、山はそんな予定調和を、静かに超えてきた。
北秋田市の奥深い山林。
古河林業が育てた一本の木に、私たちはくさびを打ち込んだ。
若い職人が横に立ち、手ほどきを受けながら、家族で順に手を入れていく。
木がきしむ音。森が息をのむ音。
そして、倒れる。
それは「切る」というよりも、
何かを「引き受けた」瞬間だった。
私は、その後に訪れた古河林業のプレカットセンターで、
倒された木がすでに次の工程を待っていることに驚いた。
山と住宅、伐採と設計、木と人の暮らしが、すでに一本の線でつながっている。
そのことを、五感で理解した。
古河林業は、ただ木を売っているのではない。
山を還元可能な関係として扱い、住宅を通してその循環を社会に繋いでいる。
木は、切って終わりではない。
使って終わりでもない。
使うことで「戻す」ための回路が生まれる。
収益は山に戻され、山はまた次の世代に渡される。
この思想が、事業の“仕組み”としてではなく、
働く人の語り、眼差し、そして手の動きの中に染み込んでいた。
私はその時、ようやく気づく。
これまで“循環”とか“持続可能”という言葉を、
どこか頭で理解していたのだということに。
この森で、一本の木を前にして、
私はその思想に身体で触れてしまった。
それは知識ではなく、衝動だった。
この構造を、残したい。
この構えを、誰かに手渡したい。
この循環の中に、未来の暮らしの希望を見ている自分がいる。
山は、語らない。
だがその山に人生を預ける人々と対話したとき、
私は確かに「語られた」のだと思う。
そして今、家づくりとは単なる住まいの話ではなく、
自然と社会と人間が、どうやって関係を結びなおすかという、
問いそのものなのだと、はっきりと感じている。