秋田・北秋田市の森。
深く静かな木立の中、一本の木が切り倒される瞬間に、私たちは立ち会った。
それは、我が家の新しい住まいの「大黒柱」になるかもしれない木だった。
木を切る前、私たちは古河林業の山で働く人々──とりわけ、若い職人たちと出会った。
彼らのまなざしは真摯で、木に向き合う姿勢には揺るぎない誇りがあった。
「この木は、お宅のために、ここまで育ってきたのですよ」
そう語られたその木に、私たち家族もまた、くさびを打ち込んだ。
職人と共にノコを入れ、手でくさびを叩きながら、木がきしむ音を聞いた。
木の緊張、山の空気、そして私たち自身の呼吸──
それらが一つになって、やがて木は傾き、ゆっくりと倒れた。
その瞬間、私の中には言葉にできない感覚が湧き上がった。
それは感謝であり、驚きであり、そして何より、「引き受けた」という感覚だった。
長男と長女もその場にいた。
社会人として独立した彼らと、こうして一本の木に向き合ったという事実が、
私にとっては、かけがえのない時間だった。
やがて私たちは、古河林業の自社工場・プレカットセンターを訪れた。
切り倒した木は、そこにあり、すでに加工の手を待っていた。
それは、もはや「ただの木」ではなかった。
「自らの手を入れた柱」として、未来の暮らしを支える命のような存在だった。
そしてこの木は、これから長い時間をかけて乾燥される。
どんなかたちで我が家に戻ってくるのか──まだ決まっていない。
柱になるかもしれないし、床の一部になるかもしれない。
あるいは、テーブルとなって家族の会話を支える場所になるかもしれない。
でも、その「まだ定まらぬ余白」こそが、この木が生き続ける証だと思う。
私たちとともに変わり、暮らしの中で新しい物語を紡いでいく。
次男は今回来ることができなかったが、
この物語はきっと、言葉や柱やテーブルを通して、彼にも受け渡されていくことだろう。
この体験は、我々家族だけでは決して創れなかった。
山で働く人々、若い職人たちの手、そして日本の森が与えてくれた時間──
それらとの“共創”によって生まれた記憶であり、
未来に続いていく、**贈与としての「家の始まり」**なのだと思う。