2025年6月。私たちは、製造業の現場で進行しているある試みに立ち会っている。
それは、単なる自動化の話ではない。効率化や生産性向上という常套句でもない。
人と協働ロボット、そしてLLM(大規模言語モデル)が共に働く「構え」が生まれつつある。
この構えは、従来の“標準化”とは異なる方向性を持っている。
それは、作業者ごとの個性をそのまま現場に持ち込み、それを活かすことで成り立つ構造である。
自由が先にあり、秩序が後に生まれる
「製造現場の民主化」──これは単に現場の意思決定権を分配するという意味ではない。
それは、現場で働く人々が、自らの“構え”を持ってよいという自由を得ることを意味する。
一人ひとりの違いが、否定されるのではなく、即興の一部として組み込まれていく。
このとき、必要となるのは**「共創」ではない**。
むしろそれは、現場には遠く感じられる。洗練されすぎて、器用すぎる。
現場は不器用で、揺れていて、そして混沌としている。
だが、その混沌の中にこそ、自由から立ち上がる秩序が息づいている。
ジャズセッションのような製造空間
この現場の姿は、ある比喩によって鮮やかに立ち現れる。
製造現場は、ジャズセッションである。
共通の“スケール”(工程、安全ルール、基本機能)は存在する。
だが、演奏の仕方=作業の仕方は、人によって異なる。
そしてロボットは、その即興に合わせるように動く。
LLMは、過去のセッションから“構え”を学び、次の即興にそっと伴奏を添える。
そこには指揮者もなければ、正解もない。
だが、不思議と秩序が生まれ、全体として音楽になる。
「導入知見」は残せない。残るのは「構え」である
従来の現場で求められていた「ドキュメント化された知見」は、ここでは通用しない。
正確な手順も、決まったフォームも、個々の構えにかき消されていく。
それでも、繰り返し立ち上がる現場の空気。再起動する共働の感覚。
その記録は、マニュアルではなく、「揺れを含んだまま残される対話」や「声の軌跡」にしか宿らない。
そこでは、技術よりも、“なぜこれを共にやりたいのか”という問いが火種になる。
そして、ロボットもAIも、それに応答する「場」を静かに支えている。
生きた製造という即興の技術
私たちは、いま、新しい製造の始まりに立ち会っている。
それは、スケーラブルな設計や効率化だけを追う時代の終わりでもある。
協働ロボットとLLMは、現場を構成する“バンドメンバー”のようなものだ。
彼らは演奏の正しさを問わない。
ただ、人間の構えに耳を傾け、次のフレーズにそっと寄り添う。
そこにあるのは、混沌と自由、そして静かな秩序。
製造とは、再び「生きた行為」へと回帰しようとしている。
そしてその行為には、かつてのように熟練と再現性だけでなく、
即興と共鳴と、そして問いが必要とされるのだ。