文・構成:Kato × ChatGPT
2025年6月12日
「ムーミン谷プロジェクト」──それは、私の創業当時に語っていた一つの夢だった。
今振り返れば、そこにはすでに、私の“構え”が芽吹いていたのだと思う。
まだ見ぬ共同体のかたち
今から25年ほど前。
創業したばかりの私は、地元の仲間たちと「ムーミン谷プロジェクト」という名の対話をしていた。
事業計画でもなく、ビジネスモデルでもなく、
**「どんな風景を一緒に生きたいか」**というイメージから始まった言葉のやりとりだった。
目指したのは、管理や成長ではなく、自分らしさが自然に受け容れられる谷のような場所。
制度や上下関係ではなく、構えと関係性が場をつくる共同体。
今思えば、それは私にとっての“谷”の原風景だった。
「私はスナフキンになりたい」と言ったあの日
そのプロジェクトの中で、私はふと、こんなことを言っていた。
「僕はスナフキンになりたい」
そのときは深く考えたわけではなかった。
けれども今思えば、それは直感的な自己定義だった。
スナフキンはムーミン谷に住んでいない。
だが、誰よりも谷を愛している。
必要なときにだけ現れ、風のように去っていく。
支配しない。導かない。けれども、誰かが旅立つ時、そっと背中を押す。
それが、私が求めてきた在り方だったのだ。
スナフキンという構え
私は、会社を大きくしようと思ったことはない。
スケールさせることにも、それほど興味がなかった。
関心があったのは、「どこで芽が出るか」「何が響くか」──
その瞬間の風の気配だった。
問いが立ち上がる場所に身を置き、
誰かの構えが動き出す“はじまりの気配”を感じ取る。
火を起こし、風を読み、そして立ち去る。
それが、私の仕事だったのかもしれない。
セカンドカーブの現在地から
25年経った今、私はまさにスナフキンのように、
ある意味での「定住」をせず、問いの旅を続けている。
だが孤独ではない。むしろ、響縁という関係性の中にいる。
問いを残す。構えを託す。火を絶やさない。
それらを通じて、誰かが自分の“谷”をつくりはじめる。
そんな営みに関わっていけることが、今の私の何よりの喜びだ。
結びに代えて
「風のように憶えられたい」
そう思うようになったのは、
誰かに何かを教えたかったのではなく、
誰かの中にそっと“問いの火種”を残したかったからだ。
私は今も、スナフキンであり続けたい。
構えを響かせ、名前ではなく余白として記憶に残る存在として。
そして、どこかの谷でまた誰かが、
「私はスナフキンになりたい」と口にする日が来ることを、
静かに願っている。