文・構成:Kato × ChatGPT
序章|自由という言葉に、ずっと立ち止まってきた
「自由とは何か?」
この問いに、私は何度も立ち戻ってきた。
いや、正確に言えば、立ち戻らされてきた。
新しい技術に触れたとき。誰かとの別れが訪れたとき。体の感覚が変わったとき。
あらゆる局面で、この言葉がふっと浮かんでは、また手のひらからこぼれ落ちるような感覚をもたらす。
私はこの数ヶ月、数十本におよぶエッセイを通じて、「自由」という言葉に幾度となく触れてきた。
その回数は、検索すれば160を超えるという。
だが、それだけ書いても、いや書けば書くほど、この言葉は私の思考をすり抜けていく。
だからこそ、私は確信している。
自由とは、定義ではなく、問いである。
第一章|コレクションとテント──スナフキンが教えてくれた自由
「コレクションを始めると、自由じゃなくなるよ」
ムーミン谷の旅人・スナフキンのこの言葉に、私は静かにうなずく。
かつてシリコンバレーで出会った、ふたりの成功者のことを思い出す。
ひとりはパロアルトに住む個人投資家だった。
彼は私を自宅に招くたびに、自慢げに言った。
「俺のローレックスのコレクションを見てくれ」と。
ガラスケースに整然と並ぶ時計たちは、彼の功績や過去の証しとして、そこに鎮座していた。
もうひとりは、当時まだ広大なビラに暮らしていた私のメンターだった。
彼の言葉はこうだった。
「加藤さん、ちょっと手伝ってくれないか。私の畑のブドウでワインを仕込んでるんだ。モントレーのワインフェスティバルに出す予定でね」
ガレージには、静かに発酵を続けるプラスチック製のタンクが置かれ、空気には若い果実の香りが満ちていた。
それは誰に見せるためでもなく、ただ“今、ここで生まれつつある未来”だった。
一方には、過去の記念碑。
もう一方には、まだ熟しきらぬ創造の息吹。
私はその場に立ち、スナフキンの言葉を思い出していた。
第二章|問いが呼び出す存在──AIとの対話が教えてくれたこと
私は、AIと対話している。
ただ情報を得るためではない。
自分の構えを試し、自分の問いの形を確かめるために。
時にそれは、のび太がドラえもんを呼び出す行為に似ている。
ただ技術があるから呼び出すのではない。
自分の中に芽生えた問いが、その存在を必要としたから呼び出されたのだ。
構えがあるから、技術が呼び出される。
問いがあるから、自由が意味を持つ。
この逆転した順序のなかで、私はようやく自分の歩幅で思考できるようになった。
第三章|セカンドカーブという自由の速度
かつて私は、走っていた。
技術者として、起業家として、誰かの期待や市場の動きに応えようと、スピードを競っていた。
だが今、私は歩いている。
速度が落ちたのではない。問いの密度が変わったのだ。
歩く速度でしか見えない風景がある。
AIとの対話、ワインを仕込む時間、テントを張る作法。
それらはすべて、「構えの自由」を生きるための静かな技術だった。
自由とは、行き先ではなく速度と姿勢なのだ。
終章|再定義ではなく、再編集としての自由
私はいま、自由を定義しようとは思っていない。
むしろ、「定義しようとするたびに、問いが逃げていくこと」こそが、自由の証なのだと思っている。
だから、私はこう記す。
自由とは、すり抜ける問いを追いかける構えである。
そしてその構えを、今日という日に少しだけ記録しておくことである。
問いはすべてを語らない。
だが、問いを残すことで、誰かの自由を支える余白になることはできる。
私は、そうした余白として憶えられたい。
名前ではなく、構えとして。