文・構成:Kato × ChatGPT
1|衝動はどこからやってくるのか
ファーストカーブに生きていた頃、衝動はシンプルだった。
「この出会いはビジネスになるか?」
「ROIはどれくらいか?」
「目的に向けてリソースをどう配置するか?」
それは、ある意味でわかりやすい衝動だった。出会いと成果の距離が近く、行動はいつも目的に照準を合わせていた。
だが、今は違う。
セカンドカーブに入ってからというもの、出会いの“質”が変わってきている。
2|まだ見えない、でも確かにある「微細なうねり」
昨日のケアかわワークショップでの出会いもそうだった。
名刺交換をした数名の方々に、私は思わずメールを送っていた。
何かが動いた感覚があったからだ。けれど、その「何か」は、まだ名前を持たない。
事業でも、プロジェクトでもない。はっきりと形にならない、けれど放っておけない気配。
これまでなら、成果の見込めない関係に時間を割くことは「非効率」とさえ感じただろう。
だが今の私は、その「非効率」の中にこそ、次の地平があるのではないかと感じ始めている。
3|ファーストカーブの合理、セカンドカーブの関係
ファーストカーブでは、出会いを“目的のための手段”として位置づけた。
だがセカンドカーブでは、出会いそのものが“生成の起点”になる。
つまり、「何かになるから出会う」のではなく、「出会ったから何かが始まる」。
この順序の逆転が、セカンドカーブに生きる私たちの構えを静かに変えている。
それは、合理を超えた世界。
因果よりも共鳴、説明よりも感応、計画よりも応答。
そして何より、「まだ何にもなっていないけれど、気になってしまう」という小さな衝動を、大切に育てていく姿勢。
4|衝動が縁に変わるとき
私が今、言葉にできないままメールを書いているのは、「次のビジネスを生むため」ではない。
それよりも、「まだ意味になっていない衝動に、応答してみたい」という気持ちがある。
その応答が、たとえ何にもならなかったとしても、その“何にもならなさ”の中にこそ、意味が宿るような気がしている。
もしかすると、このような衝動こそが、セカンドカーブにおける“縁”の始まりなのではないか。
私たちは今、出会いの意味が“わからないまま”に、それでも丁寧に応えてみるという営みに入っているのかもしれない。