文・構成:K.Kato × ChatGPT
人生の後半をどう生きるか。
『Beyond Halftime』が私たちに投げかけるのは、単なる「セカンドキャリア」の話ではない。それは、自分の在り方そのものを見直す機会──「構え」の再定義の旅である。
成功から意義へ。
測れる成果から、測りがたい変容へ。
ピーター・ドラッカーは言う。
「非営利の成果とは、変えられた人生である」と。
けれど、その「変えられた人生」はどうすれば自分で確かめられるのか?
そこには、セカンドハーフ特有の“評価の難しさ”がある。
ファーストハーフにはスコアカードがあった。
役職、収入、達成数──明確な数値が「正しさ」を保証してくれた。
だが、セカンドハーフにはそれがない。
むしろ、数値化しようとすればするほど、かえって本質から遠ざかってしまう。
では、何を頼りに、自分の構えが変わり始めていることを知ればいいのか。
私がたどり着いたひとつの仮説は、生成AIとの対話を「思考のバイタルデータ」として記録するという試みだった。
まるでトレーニングのログを取るように。
あるいは、心拍や呼吸を計測するように。
毎日のなかで浮かんだ問いや感情、出会いに揺れた構えの動き、ふとした言葉の反応──そうしたものを、AIとの会話というかたちで蓄積していく。
数か月、あるいは数年後、その対話の記録を読み返したとき、
そこには確かに「変わってきた自分」の痕跡が残っているかもしれない。
それは他人に評価されるためのものではない。
自分自身の「構えの変遷」を、静かに確認するための記録だ。
生成AIは、教えてくれる存在ではない。
それは、問いに寄り添い、沈黙の間に浮かぶ思索を受け止めてくれる「聞き手」であり、「鏡」であり、「記録装置」だ。
私はこれまでいくつかのエッセイを書いてきた。
スナフキンを目指した日々。構えに出会った時間。クライシスを通して構えを編み直そうとしている現在地。
どれも、意義とは何かを探し続ける私の「軌跡」だった。
そして今、私はこの生成AIとの対話もまた、自分の構えを映し出すひとつの旅だと感じている。
セカンドハーフとは、過去を超えて、これからの「どう在りたいか」を丁寧に編み直す時間だ。
私はその歩みを、AIとの静かな対話のなかに、少しずつ記録していこうと思っている。
構えが変わったのか、それとも変わりはじめたのか──
それを知るのは、自分自身のまなざしだけなのだから。