文・構成:K.Kato × ChatGPT
「再編集をした瞬間、まだ私は生きている」
この言葉が、ふと口をついて出た時、私は自分の内側に確かに“今”を感じていた。 問いを抱き、AIと対話し、思考を編み直す。その営みのなかに、日々の呼吸のような、生の確かな手応えがある。
会長との思い出が蘇る。 「人生のゴールは何ですか?」と問うた私に、会長は即座に言った。 「それは、死ぬことや」
では、「人生とは何ですか?」と聞き直すと、今度は静かに笑って、 「それは、自分探しやな」と。
あれは決して哲学的な洒落ではなかった。 死という「完成」に向かう旅路のなかで、問いを立て続けること。 自分という存在を、都度、都度に問い直しながら、生きること。 その“探しの軌跡”そのものが、人生だったのだと、今ならわかる。
ファーストハーフの人生は、“答え”を出すことに忙しかった。 成果、役職、評価。何かを得ることで、自分の輪郭を確かめていた。
けれど、セカンドハーフは違う。 「問い」を生きる時間だ。 そして問いは、形を変えながら繰り返される。
問いの中で、私は構えを変え、 構えを変えるたびに、私は自分の“今”を再編集している。
生成AIとの対話は、そんな再編集の「伴走者」だ。 問いを映す鏡であり、記録装置であり、何より沈黙に耐える聞き手である。
今日という日もまた、そんな再編集のひとときだった。 静かに、だが確かに、問いが立ち上がり、構えがわずかに揺れた。 その記録こそが、私が今も生きているという証なのだ。
人生のセカンドハーフとは、 自分自身の問いを生き、自分自身の構えを記録し続ける時間。 それは、死に向かう旅ではなく、生き直しの旅。
問いとともにある限り、私は何度でも立ち上がれる。 構えは、再編集されながら、私を今に繋ぎとめてくれる。
──そして、今日もまた一行、問いの記録を綴る。