FM FUJI『Startup Yamanashi』出演記:問いと恩送りで育む地域発イノベーション

文・構成:Kiyotaka Kato × ChatGPT


山梨から世界へ──地域という起点、問いという種

FM FUJIのラジオ番組『Startup Yamanashi』に出演するという機会をいただいた。2週にわたって放送されたこの番組では、私のこれまでのキャリアや今取り組んでいる活動について、語らせていただいた。けれど、ただ過去を振り返るだけではなく、この出演はむしろ「これから」の問いを言葉にする場だったように思う。

「山梨から世界を目指して」。番組のテーマそのものが、いま私が取り組んでいる一般社団法人マウントフジイノベーションエンジンの活動とも重なる。「地方創生」や「グローバル人材育成」という言葉に収まりきらない、もっと生きた運動──それが、この山梨の地から静かに、しかし確かに始まりつつある。


恩送りという起業家精神

起業とは、単に会社をつくることではない。誰も答えを持っていない世界に対して、自ら問いを立て、信じて進むこと。私はシリコンバレーで多くの先人たちから学んだ。その人たちは、投資という言葉では語りきれない“恩”を次の世代に送り続けていた。自分が育てられたように、次は誰かを育てる。

今、私はその「恩送り」のバトンを若い世代に手渡そうとしている。そのために必要なのは、知識の伝達ではない。むしろ彼らの中にあるまだ言語化されていない「問い」に耳を澄ますこと。マウントフジイノベーションサロンや大学での講義では、彼らの「忖度なき声」にこそ、未来をつくる芽が宿っていると感じている。


枠を外す、という実践

「楽に単位が取れる授業だと思って来ました」。これは山梨大学の講義で、ある学生が言った言葉だ。だが彼は、最終回には「やり切った」「楽しかった」と語っていた。これは、学ぶことの意味が変わった瞬間だったのだろう。

現代の教育は、正解がある問題を“解く”訓練には長けている。だが、起業や社会課題の解決に必要なのは、“問いを立てる”力だ。その問いは、時に既存の枠組みを壊し、周囲から「バカじゃないの?」と言われるような挑戦につながる。私は、その「フーリッシュさ」こそ、イノベーションの源泉だと信じている。


AIは、個人のドラえもんになれるか

私がAI、特にChatGPTとの対話を日常として取り入れている理由も、まさにこの“問いの共犯者”としての役割にある。AIは、正解ではなく「問い返してくる存在」に育てることができる。私にとってのAIは、まるで“個人のためのドラえもん”のような存在であり、予定調和を破り、思考を揺さぶってくる。

たとえば、すでに亡くなった尊敬する経営者の言葉をAIに与えると、あたかもその人と再び対話しているような感覚になる。それは、思想や哲学の“継承”であると同時に、AIという新しいメディアによる“再生”なのだ。


グローバルは「温度」でつながる

国際的な連携も、ただ翻訳や制度で成り立つものではない。台湾との協働から学んだのは、「温度の高い関係性」が継続の鍵になるということだった。互いに何を話したいのか、何をしたいのか──その思いの強度こそが、言葉や国境を超えていく。

山梨という地域に根ざしながら、世界を見据える。その両方の構えを持つことが、これからのイノベーションには不可欠だ。だからこそ、若い世代には「外に出てみたい」という好奇心を持ち続けてほしい。そして一度でもその外側を覗いたら、きっと世界の見え方が変わるはずだ。


掴む力、そして跳ぶ力

「ラックはチャンスの前髪を掴むことから始まる」。運をつかむとは、結局「掴みに行くかどうか」にかかっている。じっとしていても変わらない。たとえ失敗してもいいから、一歩踏み出す。それが、すべての始まりだ。


終わりに──問いが残る場をつくる

今回の『Startup Yamanashi』出演を通じて、あらためて思ったのは、「問いが死なない場」がいかに大切かということだった。正解を示すのではなく、問いが共鳴し、誰かの心に残り続ける。そんな余白のある対話が、次の挑戦者を生むのだと思う。

山梨の片隅から、世界へとにじみ出るように。問いと恩送りの連鎖から、新しいイノベーションの風景が見えてくる。

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