文・構成:K.Kato × ChatGPT
2025年6月、このタイミングでの備忘として
序|感じる力と沈黙の問い
ある日のこと、私は「Kansei(感性)」について書いた。
それは、蕎麦を啜った一瞬のむせに端を発する、ささやかな身体の変化をきっかけに、「私とは誰か」が静かに書き換えられていくという、個人的な再編集の記録だった。
あのとき私は、「Kanseiとは、世界との接続の回路である」と書いた。
風の気配、沈黙の行間、余韻の奥行き──そのすべてが、人の構えを更新する静かな知性であると。
そして今、Appleの動向を追うなかで、ふとこのKanseiという言葉が胸に浮かんだ。
iPhone17 Proへのベイパーチャンバー(VC)搭載。
A19 Proという、AI処理を意識した高性能チップ。
そして「Apple Intelligence」と名づけられた、控えめなAI統合。
スペックは上がっている。ハードも進化している。
だが、そこに感性があるだろうか?
もっと言えば、そこに「変化の哲学」があるだろうか?
Appleは何を守り、何を沈黙しているのか──。
第1章|語られない未来
2025年6月現在、AppleのAI戦略はまだ「見えてこない」。
プレスリリースには整った機能説明とプライバシー強調が並ぶが、思想が語られていない。
ChatGPTとの連携、メモの要約、オンデバイス処理。
それらは「何ができるか」のリストではあるが、「なぜやるのか」への応答にはなっていない。
他社──OpenAI、Anthropic、Googleなどは、善悪をめぐるAI哲学や世界観を語っている。
そのなかでAppleだけが、構えを見せず、語らない。
けれど私には、その沈黙が不安にも、そして可能性にも見えてしまう。
第2章|Kanseiという設計思想の系譜
Appleは本来、Kansei(感性)を軸にしたテクノロジーを築いてきた企業だ。
- ホイールをなぞるiPodの指先感覚
- スクロールの慣性、アイコンの「間」
- AirPodsの空間音響、Apple Watchの微細な通知振動
それらはすべて、「感じること」と「技術」を接続する見事な翻訳だった。
人が変わるのではなく、変わる世界に人が自然と馴染んでいく。それがAppleのUI/UXだった。
私はここに、ひとつの希望を見出していた。
AI時代にこそ、Appleは再び「Kanseiの設計者」として立ち上がるのではないか──
そして、「感じる力を壊さないAI」という、新しい構えを提示してくれるのではないか──
第3章|沈黙の裏にある保守性と限界
だが、同時に私は不安と違和感も抱えている。
Appleは今や、かつてのような「美学に賭ける企業」ではなく、
安定供給と市場配慮に徹した保守的組織になりつつあるようにも見える。
- AIに関しては、OpenAIの思想に“間借り”する形
- iPhoneやMacの更新も、毎年の定型ルーチン化
- プライバシーの名の下に、AIの“無言の制限”を設計しているようにも映る
Kanseiが感性としてではなく、快適性という名の“鈍感さ”に収斂してしまう危うさ。
「啜らぬという選択」を進化として受け入れた私は、
Appleがいつの間にか**“啜れないAI”を提供していることに気づいた**のかもしれない。
終章|期待を構え直すという選択
だから私はいま、自問している。
AppleはKanseiを裏切るのか、それとも守るのか。
いや、問い方を変えよう。
Appleはもう、私たちに語ることをやめたのかもしれない。
ならば私たちは、それを感じ、読み解く役割を引き受けるしかないのではないか。
テクノロジーが変わる。生活も、働き方も、知のあり方も再編集されていく。
そのなかで、私の感性だけは、私が守る。
Appleに対して持つ期待もまた、構え直された期待であるべきだ。
「語られない未来に対して、どんな問いを立てられるか」
それこそが、この変化の時代を生きる“感性の知性”なのだ。
備忘として
2025年6月。AIが日常に入り込み、Appleが沈黙のまま新機能を重ねるこのときに、
私はこうした問いを持ったことを、ひとつの記録として残しておきたい。
沈黙するAppleを見る感性。
語られない世界を読み解こうとする構え。
それらすべてが、私自身を再編集していくのだから。