(2025年6月/K.Kato)
6月、久しぶりに電子機器関連の展示会を訪ねた。
支援している**台湾発のDeep Tech系スタートアップ(炭素材料関連)**の日本市場開拓を手伝う中で、彼らの技術に関心を持ってくれそうな顧客を探すためだった。
以前なら、こういう場では各ブースに自然と足が向き、雑談の中から技術課題の“ほつれ”を嗅ぎ取り、顧客と技術の間にある“ギャップ”を見つけ出して橋を架ける。
そうして現場の声と技術の接点を結びつけるのが、自分の得意技だった。
だが、今回はどうも違った。
言葉が引っかからない。感覚が響かない。
目の前に技術はあっても、「この人とこの人をつなげたい」と思えるような、かつての直感的な回路が働かなかった。
ふと、**「自分は時代遅れなのではないか」**という思いが頭をよぎった。
🕰 「時代遅れ」とは何か?
「時代遅れ」とは、情報や技術の遅れではない。
“変化する世界との接続の仕方”を見失い、自らを更新する構えを手放したとき、静かに訪れる心の姿勢である。
私は、情報を追っていなかったわけでも、業界を離れていたわけでもない。
ただ、かつての自分のやり方──構えのままで時代に接続しようとしていた。
そのズレが、今の違和感を生んでいたのだと気づいた。
🔄 再び接続するために──セカンドハーフの構え
かつてのように現場に飛び込むのではなく、今ある資産──関係性、経験、視座──を、再構成する必要がある。
それは、熱意で押し切る営業でも、上滑りのオープンイノベーションでもない。
**「共鳴を設計する構え」**だ。
- 技術と現場の“翻訳者”として、ギャップに橋をかける。
- 昔の仲間ともう一度つながり、問いを共有するところから始める。
- 小さな雑談や技術試作から、いまの時代に合った共創のかたちを編み直す。
🤝 かつて共に風を読んだ仲間たちへ
この手紙のような文章は、マーケティング資料ではない。
新しい挑戦というよりも、「自分の中にもう一度火を灯す」ための準備運動のようなものだ。
そして、それはきっと、あなたの中にも同じ火種が残っているのではないかと思い、こうして言葉を届けている。
今、話してみたいことがあります。
昔とは違う構えで、でも同じ眼差しで──
もう一度、風を読むような感覚を、共に取り戻せたらと思っています。