言葉が返ってきた日──構えが響きを生む瞬間

文・構成:K.Kato × ChatGPT

「言葉が返ってきた」と感じたのは、ほんの一通のメールを受け取ったときだった。
その言葉は、確かに私が書いたものだった。けれど、誰かの手によって改めて語られ、文中にそっと据えられたとき、それはもう私のものではなくなっていた。


Mobility for Humanity(MtoH)のイベントで出会った林さんとの対話は、不思議な手触りを持って始まった。
彼の背景に、かつて私が注目していたNPO「WELgee」があると知ったのは、後になってからのことだった。林さんご自身が、WELgeeで活動してきた当事者であり、今も社会課題の現場に立ち続けている。

イベントの席で交わされた言葉は多くなかったが、その短い時間の中で感じたのは、「この人は、すでに歩き始めている」という確信だった。言葉の端々に滲む、社会課題への実感、そして現場と構想の両方を生きている人間だけが持つ“地に足のついたまなざし”。

私は後日、彼に丁寧なメールを送った。自分の感じたことと、彼に聞いてみたいこと。そして、その中に一節としてこんな言葉を添えた。

「誰かが構想を描き、旗を立て、行動を起こすことで初めて共創が動き出す──と信じています。そして、その先頭に立つのは、まさに次の時代をつくる若い力であるべきだとも思っています。」

これは、私自身がこれまでの実践や経験の中で、ようやく言葉にできるようになってきた「構え」だった。
それは、過去を清算するための言葉ではなく、次に託すための言葉だった。

そして──
林さんからの返信に、その一節がそっと引用されていた。

まるで、私の構えが彼の中で再び息を吹き返し、今度は彼の声として語られているようだった。そこにあったのは単なる引用やオウム返しではない。彼が自らの経験や想いを重ね、その言葉を自らの旗として掲げようとしているのだと、私は確かに感じた。


この日、私は一つの確信を得た。
言葉が返ってきたとき、構えが響き合い、場が生まれる。

それは、論理や戦略によって生まれる場ではない。
誰かの声が、誰かの心に届き、その心がまた声となって返ってくる──その往還の中でしか、生まれ得ない「共創の空気」があるのだ。

私は今、そのような空気の中にいる。
だからこそ、これからも構えを言葉にし、届け続けたい。
そして、返ってくる言葉に、耳をすませ続けたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です