「セカンドハーフの風に吹かれて──世を知り、問いを灯す」

2025年6月25日
文・K.Kato × 会長との対話録

「やめとけ、世直しは大変じゃから。世を知り、世を渡るのは楽じゃぞ」

初めて竹内会長にそう言われたとき、私はまだ「世界を変えねばならない」と強く信じていた。正義感ではなく、むしろ“疼き”に近い感覚で。だが今、その言葉の奥に宿る静かな重さがようやくわかるようになってきた。

私はいま、人生のセカンドハーフにいる。若さという加速度から解き放たれ、代わりに“風を読む感覚”が身についた。それは、目に見えぬが確かにそこにあるもの──人の空気、時代の揺らぎ、技術の胎動──に静かに耳を澄ませるような、生のあり方だ。

若いころ、「ビジネスの判断基準はなんですか?」と尋ねたとき、会長は言った。

「好きか嫌いかや」

それが、今では実感としてわかる。「損か得か」で動いていたら、後悔したときに納得できない。「好きだからやった」と言えることだけが、転んでも立ち上がる根になる。

そして今、ようやく気づいた。

世を変えるとは、声を荒げることではない。
誰かを説得することでもない。
ただ、自分が“どんな問いを持って生きるか”を、静かに選び続けることなのだと。

技術には連続性がある。だから未来を微分することができる。
だが社会や経営は、微分不可能な関数のように突然折れ曲がる。
この非連続の世界で、我々にできることはただ一つ──

「予測できる自分」を育てておくこと。

技術で未来を見つめ、好奇心で問いを灯し、そしてその場の風にしなやかに応じる。
それは、力ではなく“構え”の問題であり、「問う者」としての姿勢である。

「問いを持ち続ける限り、人は老いない」

そう言った会長の背中を思い出す。
そして今、私はその問いを受け取り、再び誰かへと手渡していく準備ができている。

セカンドハーフは、過去の延長線ではない。
むしろ、“もう一度、自分の問いを選びなおす”時間だ。

静かに、自由に、風に吹かれて。
私は、あの日の「たわごと」の続きを、今も書き続けている。

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