「市場なき技術」の行方──PLPに映る日本の構造的課題

2025年6月
文・構成:K.Kato × ChatGPT


技術はある、だが市場がない

パネル・レベル・パッケージ(PLP)は、次世代半導体パッケージングの有力候補として注目を集めている。素材と装置、それらを支える職人技術──日本が得意としてきた領域での技術優位は、PLPにおいても健在だ。レゾナックのRDL微細配線技術、TOWAやSCREENの大面積対応装置、ウシオ電機のマスクレス露光技術など、枚挙にいとまがない。

だが、構図はどこかで見た風景と重なる。「技術はあるのに市場がない」。それが、いまPLPで日本が抱えている構造的なズレの本質である。


設計も、顧客も、国内にいない

PLPは単なる製造手法ではない。設計思想がなければ意味を持たず、顧客がいなければ量産には至らない。その点で、日本の弱さが際立つ。素材と装置の強さに比して、PLPで何を作り、誰に届けるかが決定的に不在なのだ。

GAFAM、NVIDIA──PLPの主要顧客は海外勢ばかり。設計も彼らが握る。日本の企業はその下層に位置づけられ、結局「言われたものをつくる」構造から抜け出せないままでいる。


装置がなければ始まらない世界

PLPの進展は、装置導入に大きく依存する。技術そのものではなく、「どの装置を持っているか」「それを買える資本があるか」で勝敗が決まる。つまり、装置産業としてのPLPは“キャピタルゲーム”でもある。そこにおいても、投資規模で勝るTSMC、Samsung、米Amkorなどが先行し、日本はやはり周縁にとどまる。


国内に市場がある風景──それが未来を変える

結局のところ、PLPに限らず、日本が変わるには「国内に市場がある」という構造をどう生み出すかが鍵になる。顧客がいる、設計が生まれる、実装が内製化される──そんな「市場のある風景」を描けなければ、いかに技術があっても、またもや“使われるだけの国”に戻ってしまう。

我々は、装置を作る国から、設計思想を示し、価値ある実装を生む国へと転じられるのか。PLPはその試金石であると同時に、ある意味ではすでにその限界を露呈しつつある場なのかもしれない。


結語|実現できないかもしれない、でも──

私は、PLPの分野において、日本が自律的な市場を持つ未来は実現できないかもしれないと、どこかで感じている。しかし、それでもこの構造的課題を直視し、問い続けることに意味があるのではないか。

「なぜ日本に市場がないのか」
「どうすれば設計と顧客を取り戻せるのか」
「素材や装置が活きる“理由ある構想”とは何か」

PLPの議論を通して見えてくるのは、日本の産業全体に横たわる深い構造的な問いだ。そして、その問いに向き合うこと自体が、次のビジネス創出の起点になると、私は信じている。

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