構えを媒介する回路──地方と都市、制度と問いのあいだで

2025年6月26日 文・構成:K.Kato × ChatGPT

本山先生との最初の出会いを思い出す。
アトランタのESO(起業支援組織)をめぐる論文の話から、私たちの議論は不思議なほど自然に、日本の地方へと視点を転じていった──支援とは誰のためにあるべきか、という問いを抱えながら。

アメリカの都市周縁に見られる「支援の空白地帯」。
その構造的な視座は、実は日本の地方でも確かに感知される。「制度の網目にかからない」人や営みが、静かに取り残されていく光景。その“届かなさ”に対して、解決策としての「制度拡張」ではなく、私は別の可能性に目を向けてきた。

たとえば、長野県小諸市にあるkozorite。
医師であり料理人でもある若者が営む、小さな空間。そこで交わされるのは、医療・孤独・食といった根源的な問いをめぐる静かなやりとりだ。制度ではすくいきれない問いを、自らの手で形にしていく。その姿は、一人のESO的存在と呼べるかもしれない。

佐久市では、江原政文さんが“場所を持たない”コワーキングというスタイルで、複数の実践を同時多発的に展開している。
彼はかつて会計事務所での長時間労働を経て、都市を離れ、佐久にUターンした。2016年に「iitoco!!」というコワーキングスペースを立ち上げ、現在は拠点を持たず、ポップアップ形式で市内各所を横断しながら、場と関係性を耕している。

並行して、耕作放棄地を活用した「うちやまコミュニティ農園」や、複業を軸とした「ローカル複業化ラボ」なども展開。制度に頼らずとも、人の問いと構えがつながる地場のインフラを静かに育てている。

さらに、飯綱町の「みみずや」。
旧校舎を再生し、農や発酵、食を通じて人と人の関係性を再編する拠点。私はその代表とオンラインで語り合ったことがある。共通していたのは、問いを問いのまま置いておける空気感と、そのまま手を動かし続ける胆力だった。

これらはすべて、「制度による支援」の枠からはみ出た営みである。
けれど、だからこそ根を張り始めている。問いから始まり、構えによって継続され、共鳴によって広がっていく──そんな支援の姿が、静かに地方から立ち上がりつつある。

山梨のMt.Fujiイノベーションエンジンは、そうした構えある個人たちをつなぐ“回路”となりうる可能性を持っている。
誰かを支援するのではなく、それぞれが問いを持ち寄り、時に応答し合い、火を囲むように関わり続ける場。そこでは、起業も、創業も、生き方の延長線上にある。

私は、四半期に一度、沖縄を訪れている。
OIST(沖縄科学技術大学院大学)と琉ラボ。そこでも同じような問いに触れる。制度の外で動いているように見える人たちが、実は次の時代の設計思想を担っているのではないか──そんな感覚すら覚える。

都市と地方を隔てるのは距離ではない。
“構えの有無”こそが、いま新しい支援の質を分かつ。

構えを持った個人が、構えを媒介に、他者と出会う。
そこから生まれる火は、制度では生まれない。けれど確かに、灯っている。

そして、今あらためて思う。
kozoriteの店主、江原さん、みみずやの仲間たち──こうした「一人ESO」とも呼べる存在を、いかにつなぐか。
それこそが、これからのムーブメントの鍵になるのではないか、と。

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