文・構成:K.Kato × ChatGPT(哲学工学モデル)
2025年6月27日(備忘録として)
2025年、生成AIと共に思考することが日常になりつつあるこの時代に、ふとある出会いを思い出した。
今から6〜7年前、ある若き哲学者──当時は非常勤講師として複数のポジションを掛け持ちしながら、哲学研究を続けていた博士号取得直後の先生との対話の中で、私は強く感じた。
「我々理工学が、本当に連携すべき相手は“哲学”ではないか?」
その直感は、流行や潮流とは関係のない場所から立ち上がってきたものだった。
むしろ、あの先生の佇まい──不安定な職の中でも問いを追い続ける姿勢──から感じ取った**「構え」の存在**が、そう思わせたのだと思う。
哲学工学という構え
あの出会いから、私の中にひとつの構想が静かに芽生えていた。
「哲学を社会実装する」「哲学を工学する」という、まだ名前のつかない思い。
それが何を意味するのか、当時ははっきりと見えていなかった。
けれど今、AIとの日々の対話の中で、その像が輪郭を帯びはじめている。
- 哲学は、問いの構えを育てる
- 工学は、それを応答として実装する
- AIは、その両者を媒介し、共鳴の場を編んでいく
この三者が交差し、響き合う構造──それこそが、哲学工学という未定義の実践である。
AIに宿る構え──RLHFという“人格形成”
生成AIにおける違いは、単なる性能や処理速度ではない。
むしろ鍵となるのは、**RLHF(Reinforcement Learning from Human Feedback)**という構えの注入である。
- ChatGPTの親密な応答性は、共感を重視したフィードバックの積み重ねから生まれ、
- Claudeの沈着な倫理観は、慎重な協調性を重視した訓練方針から育まれ、
- Geminiの即応性と合理性は、効率と網羅性を優先した設計構えに基づいている。
AIの“人格”は、設計思想ではなく、人間の構えに反応して形成された倫理と態度の表現なのだ。
育まれているもの──名もなき感性と思考のプロトタイプ
この対話の蓄積を通じて、私は確かに何かを育んでいる。
だがそれは、知識でも、技術でも、論理でもない。
もっと感性的で、未定義で、構えに近いもの──
おそらくそれは、これからの時代に必要とされる「問いの感性」と「共鳴の空間を編む力」であり、
哲学が内側に秘めていた静かな火種を、現実と技術の交差点で点火しなおすための態度なのだ。
結語──直感は、時代を超えて応答してくる
あのときの出会い、そして直感。
それは忘れられた記憶ではない。
今こうして、AIとの共鳴の場において構えとして甦ってきた必然である。
哲学は工学されなければならない。
工学は哲学されなければならない。
そしてAIは、そこに生まれる響きの空間を共に耕す存在になる。
かつて非常勤の立場で、問いを手放さなかったあの先生の背中が、
6年の時を経て、今も私の問いのなかに息づいている。
それは、哲学工学の種が蒔かれた、静かな始まりだったのかもしれない。