生きる知を、社会の知へ──第一次産業の“感度”を可視化する試み

2025年6月
文・構成:K.Kato × ChatGPT


気候変動は“見えない”

気候変動は、その本質が「見えないこと」にある。
目の前の空が青くても、気温が穏やかでも、地球規模では着実に均衡が崩れている。だが人は、目に見えず、手で触れられず、即座に生活に支障をきたさないものを、自分ごととして捉えるのが苦手だ。

科学はその「見えなさ」に名前を与え、数値を与え、予測を与える。だが、それだけでは多くの人の心には届かない。数字ではなく、**“感じられる変化”**こそが、私たちに問いをもたらすのではないか──そんな予感がある。


稲が告げる未来

兼業農家の友人は、毎年お米や野菜を育てている。
今年の水の入り方が違う、虫の出る時期がずれた、稲の花が去年より早く咲いた──そうした身体で感じる違和感が、彼のなかに「このままではまずい」という静かな警告を響かせている。

私たちがニュースで「1.5℃上昇」と聞くころ、彼らはすでにそれを土と風の変化として知っている。第一次産業に携わる人々は、いわば“地球のセンサー”であり、私たちがまだ気づかない未来を、生身の感覚で受け止めているのだ。


社会的センサーとしての一次産業

第一次産業というと、多くの場合「生産性」「効率性」「地産地消」などのキーワードで語られる。しかし、いま私たちが注目すべきは、そうした経済的機能ではなく、社会的な感度装置としての第一次産業である。

  • 農民は、気温・日照・水の変化を、作物を通じて察知している
  • 漁師は、海の流れや魚の動きを、網と身体で感じている
  • 林業者は、虫の増減や木々の異変を、森の呼吸から読み取っている

これらはすべて、データ化されていない知、数値化されていない知である。だが、確実に存在し、蓄積され、語られている。問題は、それが社会の知として翻訳され、活用されていないことにある。


翻訳者としての社会起業家

この“肌感覚の知”を可視化し、社会と接続する。
その役割を担えるのは、もしかしたら社会起業家たちなのではないか。

彼らは、問題を資源に変え、感情を構造に変え、地域に埋もれた知を社会的な価値として編集する術を知っている。気候変動という巨大な「不可視の変化」を、兼業農家の語り、漁師の感覚、林業者の記録といった“局所の声”から立ち上げる。


感度を価値に変える構え

今後は、こうした知をかたちにしていく試みが重要になるだろう。

  • 農民の違和感を定性的に記録し、アーカイブする「農の気候日誌」
  • 気候変動に関する“体感の翻訳者”を育てるローカル・インタープリター育成
  • 自然の変化を可視化し共有する「感度のプラットフォーム」の構築
  • 「この米は、異常高温を超えて育った稲です」と語る“物語付きの農産物”

これらは、経済的な価値を超えた「社会の感度」の蓄積であり、人と自然のあいだにある知の再編成である。


生きる知を、社会の知へ

「生きる」ことそのものが、実はこの社会のなかで大きな機能を担っている──そんな視点に立ったとき、第一次産業は単なる産業区分ではなく、**人間と自然の関係を記録し続ける“知の現場”**として立ち上がってくる。

この価値を、誰が見える化するのか?
誰がその言葉に耳を傾けるのか?
そして、誰が社会と再接続していくのか?

生きることを通して、世界を感知している人々がいる。
その声が、これからの社会の“感度”を取り戻す起点になる。

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