理学が現象を説明し、工学が設計指針を生む。そう信じてきた私たちにとって、構えという非形式的なものを、どう知の体系に組み込むかは難問だ。
モデル化されない知
数式にならない判断
最適化できない信頼
それらは科学的厳密性から見れば「ノイズ」に見えるかもしれない。しかし、そのノイズこそが、実装現場では“意味”となって立ち上がる。構えの科学は、未だ名づけられていない理学の地層なのだ。
問いは現場で生まれる
あるとき私は思った。
アカデミアの中で語られる問いは、どこか“きれいすぎる”と。だが、現場では毎日、構えを問われている。目の前の作業者に信頼されるとはどういうことか。人が機械に任せるとはどういう心の動きなのか。そこには、人文学的な問いが生きている。
つまり、現場はただの適用先ではない。問いの生成地なのだ。
そしてその問いにこそ、次の理学──「構えを扱うための知」──が眠っている。
未来の理学は、実装から始まる
私たちはいま、「使えるAI」や「現場で動くロボット」を追い求めているだけではない。人と機械がどのように共に立つのかという“構え”の技術を探しているのだ。
それは、哲学・認知科学・生態学・工学が、同じ地図の上に立つことを必要とする。そして、その地図は現場から描かれる。
アカデミアが後から追いかける構図でいい。
いま必要なのは、問いに応える技術ではなく、問いを生み出す構えなのだから。
このエッセイが、構えの地層に耳を澄ませる誰かに届くことを願って。
構えは、知の起点である。