余韻という構え──FUN+TECH LABでの対話と収録

橋本駅前に新しくできたFUN+TECH LAB。出会って一年あまり、ここは私にとって、いくつもの縁が静かに芽吹く場所になっている。

昨日、インスタグラム収録の依頼を受け、その場に立った。けれど、いきなり撮影が始まるわけではなかった。午後2時半、スタッフとクリエイターのご夫婦との雑談が始まり、気づけば1時間以上が経っていた。話はニューヨークの街、人々の優しさ、空気の質感へと漂い、まるで場そのものが私たちにストーリーを語りかけているようだった。

「なぜニューヨークが好きなんですか?」と尋ねたとき、彼らはこう答えた。

「人々が優しいから。」

この一言に、私はハッとした。ニューヨークに挑戦の街というイメージを重ねる人は多いが、「優しさ」で語る人には初めて出会った。その言葉は、彼ら自身の静かでやわらかな構えをよく映していた。

そして、話がまとまると、スマートフォン一つでの収録が始まった。小さく、洗練された装備。言葉とリズムが心地よく流れ、私たちはその時代の呼吸に自然と溶け込んでいく。

その後、自宅に戻り、ふと今朝読んだ法句経の一句が胸に沁みた。

「心を留めている人々は努め励む。彼らは住居を楽しまない。白鳥が池を立ち去るように、彼らはあの家、この家を捨てる。」(第91偈)

雑談から始まった出会い。そこに執着せず、しかし丁寧に向き合い、慈しみをもって別れていく。この白鳥のような身のこなしこそが、昨日の出来事に静かに流れていたように思う。

余韻とは、ただ残る感情ではない。それは、「今ここ」での真摯なまなざしが生んだ響きであり、自分の心の奥に触れる風のようなものだ。昨日のあの対話は、言葉以上のものを教えてくれていた。

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