中小企業経営者の平均年齢は、いまや60代後半に達している。
「後継者がいない」「子が継がない」「廃業が増える」といった声が、社会課題として繰り返し語られている。
だが、本当にこれは「承継の不在」が問題なのだろうか。
むしろ私たちは、問いの立て方そのものが古びてしまっていることに気づくべきではないか。
この国には、昭和の高度経済成長の中で生まれた無数の企業が存在する。
大量生産・大量消費の時代においては、「作れば売れる」という構造のなかで、多くの企業が拡大し、地域に根ざし、家業から法人へと成長した。だが、それから50年。
人口構造、消費行動、テクノロジー、働き方、価値観──あらゆる前提が変わった。
つまり、「継がれない」のではない。
“継がれるべき形”がすでに終わっているのである。
かつては家族が家業を継ぐのが当たり前だった。
だが今は、子どもたちが「同じ人生を歩むこと」を求められる時代ではない。
それでも事業を「そのまま」継ごうとすること自体が、構造的な無理をはらんでいる。
継がれないのは、“問題”ではない。
むしろそれは、“今の社会が必要としていない”という静かなサインである。
つまりこれは、「継承すべきでないものが継承されようとしている」構造の歪みなのだ。
では、どう考えればいいのか。
それは「事業承継」という言葉を、**「事業の編集と再定義」**に置き換えることから始まる。
重要なのは、「誰が継ぐか」ではなく、
「何が引き継がれるべきか」
「どのように変化しうるか」
「それは今、誰に必要とされているのか」
という問いを立て直すことである。
もはやこれは「承継の問題」ではなく、イノベーションの問題なのだ。
つまり、「既存企業が社会に適応して再構成されていくための仕組みづくり」の問題である。
かつての事業には、今も活かしうる“種”が眠っている。
地域との関係性、手仕事の知恵、顧客との信頼、そして何より「働く」という行為に込められた生のリアリティ。
それらを未来につなげるには、器を変えなければならない。
古い器に宿った灯を、新しい器に移し替える──
その行為こそが「構えを継ぐ」ということなのだと思う。
「継ぐこと」ではなく、「適応すること」。
「残すこと」ではなく、「再び生まれ直すこと」。
それが、これからの“事業承継”の新しいかたちであり、
その構えを持てたときにこそ、ようやく私たちは、
次の世代に価値ある何かを手渡すことができるのだろう。