私のスタートアップは、いつも「直感」から始まってきた。
1999年に最初の会社を創業したときもそうだったし、Landing Pad Tokyo(LPT)を立ち上げた2019年も、明確なビジネスモデルがあったわけではなかった。ただ、何かが見えていた。言葉にはできないが、確かに「未来の輪郭」のようなものがあった。
だが、いつも思う。「早すぎたのではないか」と。
最初の会社のときは、自分の技術が時代に追いつかれていないような感覚をずっと持っていた。そしてLPTも、創設当初から“中小企業のイノベーション支援”を掲げてはいたが、その真意がはっきりと見えてきたのは、つい最近のことだった。
その答えは、ある朝書いたエッセイの中にあった。
「継がれないのは、“問題”ではない。むしろそれは、“今の社会が必要としていない”という静かなサインである。」
中小企業の事業承継という課題に向き合う中で、私たちは気づいた。
これは「誰が継ぐか」ではなく、「何が継がれるべきか」の問題だということ。
言い換えれば、**「事業の再編集と構えの継承」**の問題であり、まさにイノベーションという形を通じた“社会との再接続”である。
このとき、ようやく私は、LPTがなぜイノベーションを掲げてきたのか、心の底から納得できた。
それは「早すぎた」のではなく、「未来が見えていた」からだったのだ。
「長くやってきたからだな」
昔、ある大先輩──通称「ひねくれ会長」と、ある時こういう会話をした。
「なぜ、私たちの共同事業はうまくいったのですか?」
「……長くやってきたからだな。」
その言葉の重みが、今ならわかる。
スタートアップにおいて、本当に難しいのは“問いを持ち続けること”だ。
芽が出るまで、信じて、灯を絶やさずに生き延びること。
特にDeep Tech系のように、成果が出るまでに時間がかかる領域では、時間と信頼を受け止めてくれる“誰か”の存在が不可欠だ。
私にとって、その「誰か」は、会長であり、初期の顧客たちであり、同じ夢を見てくれたすべての人たちだった。
投資とは、「同じ夢を見ること」
今、はっきりと言える。
投資とは、資金や支援のことではない。
まだ形にならない夢に対して、共に目を向けてくれた人たちの存在こそが、最大の投資だった。
- ひねくれ会長は、自社のリソースを使って、私の技術を試してくれた
- 初期の顧客たちは、不安を抱えながらも導入してくれた
- 社内の空気に抗いながら「新しいことをやろう」と踏み出してくれたアーリーアダプターたち
彼らは皆、「私の見ていた風景」を信じ、共犯者としてそこに立ってくれた。
日本的スタートアップのもう一つのかたち
私は今、こう考えている。
スタートアップとは、**「未来を信じる者同士が、縁によってつながる同盟のようなもの」**だと。
それは『One Piece』のように、個々に異なる背景を持ちながらも、共通の夢に向かって手を取り合う姿に似ている。
そして日本においては、数代続く中小企業が、その夢の母艦や重石になりうる。
Deep Techスタートアップが長く生き延びるには、「共鳴による支援」が必要であり、そこにこそ日本独自のエコシステムがある。
生き延びること。それがすべてだった。
「10年早かった」と思うことも多かった。
でも、10年前に始めたから、**10年後に「間に合った」**と言える。
それが、私のスタートアップの構えであり、私が見てきた風景である。
そして、今この瞬間に心から思う。
夢は、自分だけで見るものではない。
共に見てくれた誰かがいたから、今がある。
この構えを、次の誰かに、静かに手渡していきたい。