文・構成:K.Kato × ChatGPT
序章:捨てた先に広がる風景
「今の会社を売却するのが良い。その先の光景が変わるから」──
あのとき、サンフランシスコのメンターが言ったこの一言が、私の心を大きく揺らした。
当時50歳。人生の節目を迎えつつも、会社の未来、家族の生活、自らの存在価値に執着し、すぐには踏み出せなかった。
“捨てた先に何があるのか”が見えないからこそ、私は不安に包まれていた。
けれど今、私ははっきりと言える。
あのとき捨てたからこそ、見える風景がある。
そしてその風景の中にこそ、「ほんとうの人生」が始まる入り口があったのだと。
第一章:変化はいくつもある、でも構えの転換は一度きり
これまでの人生にも、多くの変化があった。進学、就職、起業、家族の変化。
しかし、あとから振り返って気づくのは、本質的な構えの転換は、人生で一度しか訪れなかったということだ。
転職や引っ越しは何度もできる。
けれど、「見ている世界そのものが変わる」体験──つまり、“自分の立ち位置”が反転するような変化は、
一度しかない。いや、ほとんどの人には訪れないかもしれない。
多くの人が、現状を変えるために何かを「得よう」とする。
だが、本当の変化は、何かを得ることで起こるのではなく、何かを捨てることによって起こる。
第二章:不可逆の一歩、不可視の幸福
会社を売却し、役職も手放し、世間的なラベルのいくつかが消えていった。
けれど、不思議なことに、それらがなくなっても私は「私」であり続けた。
いや、それまで以上に、私が私であるという感覚がはっきりとした。
外に向かって立ち上げていた“構え”が静かに溶けていき、
代わりに、内側からじんわりと立ち上がってくるような構えが芽生えてきた。
この変化は不可逆だ。
一度その「目」で世界を見てしまえば、もう元には戻れない。
けれど、それは何かを失うことではない。
むしろ、そこから“ほんとうの人生”が始まる。
第三章:庵という気配──構えが宿る場をつくる
来年、新たに完成する我が家。
その一階の六畳間を「庵」と呼ぶことにした。
それは、隠居でもなく、趣味の部屋でもない。
自らの構えと静かに向き合い続ける場所──
他者に説明する必要もなく、ただ「ある」ことで意味を持つ空間だ。
この庵の存在を伝えたとき、妻がどこか安心したように微笑んだ。
彼女もまた、いま人生の問いに揺れ始めている。
「あなたを見ていると、楽しそうに仕事をしている。私も、そんなふうに生きたい」
そんな彼女の言葉に、私はかつての自分の姿を見た気がした。
そして今度は、自分の背中が誰かの構えの“予兆”になるのかもしれないと感じている。
終章:瞬間瞬間が、満ちている
セカンドハーフに入った今、
私はもう未来に「何かを得よう」として生きてはいない。
むしろ、今ここ、この瞬間が満ちていること、
呼吸の一つひとつ、関わる人の言葉の重み、目の前にある風景の温度──
その一つひとつを、“味わうように生きている”。
この感覚は、ファーストハーフでは得られなかった。
なぜなら、構えが違っていたから。
勝ち取る人生から、響き合い、味わう人生へ。
ほんとうの人生は、いつからでも始められる。
ただし、それは一度きり。
構えを変える、その瞬間からしか始まらない。