なぜ、私は執着を手放せたのか──言葉にならぬ成熟の記録

ある朝、法句経の一句に出会った。

さあ、この世の中を見よ。
王者の車のように美麗である。
愚者はそこに耽溺するが、
心ある人はそれに執着しない。(第171偈)

この言葉が、ふと心に響いた。
過去の自分が見ていた世界──それはまさに、王者の車のように眩しい世界だった。
シリコンバレーという技術者にとっての聖地。
成功した起業家たちの背中。
ファーストカーブの前半、私はその輝きに耽溺するように進んでいた。

だが、10年という時の流れの中で、その光は次第に色を変えていった。
目の前の景色の奥にある虚しさ。
何かが足りないという、言葉にならない違和感。
それは、表面的な成功では決して満たされない、内なる渇きだったのかもしれない。

転機は、サンフランシスコのメンターの一言──「会社を売却したら?」
その言葉に背中を押され、私は53歳で事業を手放した。
やり切ったとは言わない。
けれど、あの時点で自分にできることはやったという感覚は、確かにある。

そして、その後の歩みの中で、自分が立ち上げたものが、次世代によって引き継がれ、さらに成長していく姿を見届けることができた。
その光景が、私の役割の終わりを静かに告げていた。

不思議なことに、それ以来、私はもう“王者の車”を追いかけたいとは思わなくなった。
いま、私の関心は「自分が何を成し遂げるか」ではなく、
「次の世代が、どのようにその歩みを紡いでいけるか」にある。

私はもう前に出る必要がない。
むしろ、少し後ろに下がり、場を整え、風が通るような空間を育てること。
言葉を交わし、記録を残し、問いの種を蒔くこと。
それが、いまの私に与えられた務めなのだろうと思う。

もちろん、なぜ私がこのような心境に至ったのか、自分でもうまく説明はできない。
ただ、ひとつ言えるのは、「完全を目指さなかったこと」が鍵だったように思う。
“やれるだけやった”という感覚が、手放しを可能にした。
そして、信じられる次の世代がいたことが、未来への不安を静めてくれた。

今、同世代や上の世代の中には、いまだ美麗な車を追い続けている人もいる。
その姿に、私は何かしらの“執着の名残”を感じる。
おそらく、まだどこかに「不完全燃焼感」があるのだろう。
けれど、もし彼らが私と同じような心境に至ったならば──
自らを前に出すのではなく、陰に退き、次の世代のために“場所”をつくる人になるのではないか。

この対話の記録も、そんな未来の誰かにとって、小さなヒントになればと願っている。
今の私は、ただそのために静かに言葉を綴っている。
それは同時に、私自身のためでもあるのだけれど。

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