近年、「AIをどう導入するか」「DXをどう進めるか」という言葉が、経営の現場にあふれている。
生成AIやロボティクス、小型LLM、XAI──技術は日々進化し、導入へのハードルは次第に下がっている。
けれども、現実はどうか。
そのような最新技術を目の前にしても、現場が変わらない、文化が変わらない、何よりも“人の意識”が動かないという声を、多くの経営者が口にする。
なぜだろうか。
答えは、実に根本的なところにある。
技術の前に、夢がなければ、動かないのだ。
技術は“手段”でしかない
AIも、ロボットも、センサーも、それ自体が何かを生み出すわけではない。
彼らは、人間の意思があって初めて動き出す。
つまり、何を実現したいのか、という“夢”があってこそ、技術は生きるのだ。
その夢とは、必ずしも大きなビジョンでなくてよい。
- 地域の雇用を守りたい
- 子どもたちに誇れるものづくりを残したい
- 技術者が誇りを持てる職場をつくりたい
- 海外に通じる製品を育ててみたい
それぞれの経営者が心の奥で抱き続けてきた、静かな願い。
そこにこそ、技術が向かうべき「理由」がある。
夢を語れる場が、足りていない
だが今、その“夢”が置き去りにされているように感じる。
会議ではKPIやROIが飛び交い、メディアは成功事例ばかりを求める。
そんな中で、「本当は、自分はこんな未来をつくりたいんだ」と口にする場が、極端に少なくなっている。
夢は、語ることで息を吹き返す。
共に語ることで、形になり始める。
だからこそ、夢を語り合える“場”が、いま求められている。
響縁庵のような静かな場から
夢は、大声で叫ばれるものではない。
むしろ、静かな対話のなかで、ふとこぼれるように現れるものだ。
お茶を一服交わすように。
少し間を置きながら、ゆっくりと自分の言葉を紡いでいく。
そんな場にこそ、本物の夢は現れる。
響縁庵──それがどこかの建物である必要はない。
その人の心に生まれ、響き合う場が、そこにあればよい。
一人の夢が、別の人の夢を照らす。
その交差点にこそ、未来のビジネスと文化が芽吹いていく。
技術はあとから、いくらでも追いつく
実は、技術はもう準備ができている。
軽量化されたAI、低遅延のエッジ推論、作業者と共に学ぶXAI──
それらはすでに存在し、あとは「どの夢に向かって動かすか」だけが問われている。
夢を描き、語り、共有できる経営者たちが集まる場。
そこから始まる実装こそが、未来に本当に必要とされる“技術導入”なのではないだろうか。
おわりに
技術は、夢をかたちにする道具である。
夢なき技術導入は、構築されたそばから、崩れていく。
今こそ、技術の前に、夢を取り戻そう。
そして、その夢を語り合える場を、静かにつくっていこう。
それがきっと、この国の企業と未来にとって、
ほんとうの変化の始まりとなるはずだから。