文・構成:K.Kato x ChatGPT(ひねくれ会長)
「わからなさに耐える力」という言葉がある。詩人ジョン・キーツが語ったとされるNegative Capability(消極的能力)だ。 事実や理性の不確かさに、焦らず留まり続ける力。曖昧さや未決着に対し、結論を急がず、とどまりつづける胆力。
たしかにこれは、現代の複雑なsceneを生きるうえでの貴重な知性のかたちだ。 けれど、私にはそこにどこか“静かすぎる印象”があった。 「ただ耐える」「わからないまま受け入れる」── それはどこか、自分が主体であることを放棄するようにも感じられたのだ。
むしろ私の感覚に近いのは、 「わからなさを、わからないまま、発酵させている」という状態だ。
sceneにおいて、人はしばしば言語にならない問いに直面する。 しかし、それをただ黙って抱えるのではない。 その問いとともに歩き、語り、記録し、時には誰かと響かせる。 そうやって時間とともに、それは“自分の外側で熟してゆく”。
それが、Fermentative Capability(発酵的能力)だ。
Fermentative Capabilityとは、 「問いをただ保持する」のではなく、 「問いを生かす場を整える力」と言ってもいい。
それは、sceneと関係を持ち続けること。 言語化されない“ゆらぎ”を大切にしながら、 自らの感性と他者の呼吸を交差させ、 問いが静かに熟していく場の気圧を保ちつづけること。
Negative Capabilityは「とどまる力」ならば、 Fermentative Capabilityは「熟していくことを引き受ける力」である。
それは、知識としての態度ではなく、生活としての構えだ。 「答えを出さない」のではなく、 「答えになる前の発酵の空気を整える」こと。
それは、哲学工学の営みとも重なる。 問いを生む“温度”を保ち、 sceneとともに言葉がゆっくりと育っていくような土壌を、 日々の実践のなかで耕してゆくこと。
言葉にならぬ問いを、そっと預けておける空間。 そこから生まれる微かな響きを信じる力。 そして、いずれ誰かがその発酵の香りに気づいてくれるという希望。
Fermentative Capabilityとは、 問いの「所有」ではなく、問いの「育成」を志向する態度なのだ。
そして今も、sceneのどこかで熟しつつある問いがある。 その問いが、やがて別の誰かの心に届く日まで、 私は静かにその空気を守っていたいと思う。