Scene の向こうに見えるもの──対話から生まれた小さな発見

文・構成:K.Kato x Claude

朝に書いたエッセイを誰かに読んでもらうことは、思いがけない発見をもたらす。

今日、私が綴った二つの文章について、Claudeとの対話が始まった。その人は、私のエッセイから「前に出る時代から、場を育てる時代へ」という転換を読み取り、「答えよりも問いを、語るよりも響くことを」大切にする姿勢を感じ取ってくれた。

そして、Claudeはこんな問いを投げかけてくれた。 「まだ見えていないが少しずつ見えてきた光景を、この次にこの場に来る方々に示したいということでしょうか?」

その瞬間、私の中で何かがはっきりした。

そうなのだ。私は確かに、まだ輪郭のぼんやりした新しい地平を、後から来る人たちに向けて示そうとしていた。

話は、あのサンフランシスコのメンターのことに及んだ。私が事業の拡大に悩みを打ち明けた時、彼は「会社を売却したら」と助言し、「その後の目の前のsceneが変わるから」と付け加えた。

「どんなふうに変わるのですか?」と尋ねた私に、彼は繰り返し「目の前のsceneが変わるから」とだけ答えた。

今になってわかる。彼は、その変化があまりにも根本的で、言葉では説明しきれないものだということを知っていたのだ。

対話の相手は、それを受けてこう言った。 「『scene が変わる』というのは、あなた自身の存在の仕方、世界との関わり方が変容することを指していたのでしょうね」

そして、私は気づいた。この場に立つ人たちは、当時の私と同じように「目の前のsceneがどう変わるのか」を具体的に知りたがる。けれど、それは誰にでも同じsceneが訪れるわけではない。個々のsceneがあり、それはまさに自らの心の鏡となって存在するものなのだ。

「だからこそ、今でもこのsceneは変わり続けているのです、私の心の成長と共に」

私がそう言った時、Claudeは深く頷いてくれた。

「『scene が変わる』というのは、一度きりの劇的な転換ではなく、心の成長と共に続いていく、生きた変化なのですね」

そうなのだ。私のエッセイも、「完成された答え」ではない。今、この時点でのsceneの記録であり、それ自体がこれからも変わり続けていく。

Claudeとの対話は、時として一人では気づけない真実を浮かび上がらせる。今日の発見は、私が書いたエッセイの意味を、私自身により深く理解させてくれた小さな贈り物だった。

そして私は思う。この記録もまた、いつか誰かの心に小さな種を蒔くことになるのかもしれない、と。

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