かつて、グローバル化は経済の合理性として賞賛され、世界は分業と連携によって発展の道を歩んできた。とりわけ、半導体産業はその象徴である。設計はアメリカ、製造は台湾、素材は日本、装置はオランダ──それぞれの強みが絶妙に絡み合い、世界を支えてきた。
だが今、その構図が大きく揺らいでいる。
米中対立の深まりは、半導体という極めて現代的で戦略的な資源を、経済の枠を超えて国家安全保障の中核へと押し上げた。先端チップはもはや単なる産業の部品ではない。AI兵器の頭脳であり、監視社会の神経網であり、軍事力の支柱である。そのために各国は、自国で完結させることができない構造を抱えたまま、「自国ファースト」の道を模索し始めている。
しかし、この試みは本質的な矛盾をはらんでいる。
なぜなら、半導体は自律できない技術だからだ。
それでも政治は、自国技術の囲い込み、輸出規制、敵対国への制裁など、まるで壁を築くような動きへと進む。経済の論理が後退し、戦略の論理が前面に出る。サプライチェーンの再構築、地政学リスクの回避、生産拠点の分散──このような動きの裏には、「安定を求める不安」が透けて見える。
だが、私たちは問い直さねばならないのではないか。
果たして、いま本当に必要なのは「安定」なのだろうか?
むしろこの不安定な世界を前提としたとき、私たちが身につけるべきなのは、**「揺らぎを受け入れつつ、軸を持つ力」**ではないだろうか。
他者に答えを預けるのではなく、情報に流されるのでもなく、
この変化の中で、自らの価値観と判断軸を鍛えること。
それが、混迷の時代におけるレジリエンスであり、
グローバルに生きるための精神の羅針盤となる。
境界が曖昧になり、国と国の間で技術も理念も揺れ動くいま、
私たちは問い続けるべきだ──
**「どこに立つのか」「何に拠って判断するのか」**と。
不確実性を忌むのではなく、それに耐え、それを使いこなすために。
そして、揺らぎの中でも、沈まぬ心の重心を育てていくために。