週末、子供たちが帰ってきた。
久しぶりに家族が集まり、兄弟同士、そして私とも、互いの問いを交わし合う。
それは単なる会話ではなく、それぞれの人生の歩みの中で芽生えた真剣な思索を、そっと差し出し合うような対話だった。
私は父としてではなく、一人の人間として、その場に向き合っていた。
過去の経験を押しつけることなく、いまここで心をひらくこと──
そのことが、未来への贈りものになるような気がしていた。
ちょうどその頃、出会った一つの偈が心に沁みた。
「また以前には怠りなまけていた人でも、
のちに怠りなまけることが無いなら、
その人は世の中を照らす。
あたかも雲を離れた月のように。」
振り返れば、自分にも怠りがあった。
しかし、今この瞬間から怠らなければ、世の中を照らす存在になれるかもしれない。
この言葉は、まさに今の私にとって、救いであり、希望である。
そしてその「照らす」ということは、決して何か大きな成果を残すことではないのかもしれない。
ただ目の前にいる子どもと真剣に対話し、心を尽くして関わる。
その積み重ねこそが、未来への光になる。
雲を離れた月のように、静かに、確かに照らしていくために──。