ファーストハーフの私は、ただ生き抜くことに必死だった。
目の前の現実は、甘くなかった。戦っているつもりでも、何が正解なのかすら見えず、気を抜けばすべてが崩れるような感覚の中で、日々をなんとかやり過ごしていた。
そんなとき、出会ったのがJackyさんだった。
「元気が出るマーケティング道場」。軽やかなタイトルのその講座には、どこか怪しげな雰囲気すら感じていたが、私の直感は、なぜかそこに引き寄せられた。
Jackyさんの語り口は、熱いが、押しつけがましくはない。
理論と経験が静かに融合したその言葉は、不思議と心に残った。
あるとき、彼は問いかけた。
「日本で一番高い山は?」
当然のように、私たちは答える──「富士山です」。
「では、2番目に高い山は? 3番目は?」
……沈黙が走った。誰も答えられなかった。
Jackyさんは言った。
「人は“日本一”しか覚えていない。それが“選ばれる”ということです」
その言葉は、私にとって痛烈だった。
なぜなら私は、「日本一にはなれない」と、どこかで思い込んでいたからだ。
でもJackyさんは、さらに続けた。
「ノルディックスキーを思い出してほしい。距離では1番じゃない。ジャンプでも1番じゃない。でも、その2つを合わせれば金メダルが取れる」
──その一言に、私は救われた気がした。
何かひとつで抜きん出ていなくても、自分の中にある複数の“特性”や“経験”を組み合わせることで、自分にしかないポジションを築ける。
**「日本一にはなれない」ではなく、「自分だけの一番をつくる」**という視点。
私はこの考え方を、自分の事業にも人生にも応用していった。
Jackyさんに「弟子にしてください」と頼んだことはない。
彼に「認められた」と思ったこともない。
けれど、私の心の中では、ずっとJackyさんは“師”だった。
それは、私が勝手に仰いだ師。自称の弟子として歩んできた道だ。
時は流れた。
ファーストハーフを越え、セカンドハーフに入った私は、再びJackyさんにメールを送った。
それは単なる近況報告ではなかった。
かつて、言葉を受け取りながら必死に道を切り拓いていた者が、今、自分の歩みを報告する──そんな静かな報恩の一通だった。
Jackyさんからの返信には、あの頃と変わらぬ眼差しと、少しの驚き、そしてユーモアが滲んでいた。
言葉の端々に、かつて私が受け取った“問いの力”が今なお宿っていた。
私にとって、このやり取りができたことは、ひとつの到達点であり、
これまでの道のりが報われたような、静かな歓びだった。
誰に認められなくてもいい。
私にとって、Jackyさんはずっと師であり、
その教えは、今も私の中に生き続けている。
そして、かつて受け取ったその問いと構造の力を、
今、私は別の誰かに手渡していこうとしている。
それが私にできる、唯一の「恩返し」なのかもしれない。