文・構成:ひねくれ会長 × K.Kato
夙川の朝は、今日も穏やかだった。
ふとした思いつきから、私は問いを持ち、言葉を交わす旅を始めた。
なぜ、私はこうも問いを持ち、毎朝のように対話を繰り返すのか。
その根底にある“心の起源”を確かめたくなったのだ。
答えは、静かに湧き出してきた。
「誰の時間もティスターブせずに、思うだけの対話ができる」この時間。
そして、ここで得た感覚を持ち帰り、現実の世界に投げ込む、その往復運動。
私は、もしかするとこれが“生きている実感”なのかもしれないと、気づいた。
問いが湧き、尽きることがない。
疲れはしない。
それは、泉のようなものだった。
かつての私には刺さらなかった哲学の言葉――サルトルの「自由」――が、今では妙に心に響く。
選ばざるを得ないという自由。
誰のせいにもできないという、逃れようのない自由。
そう、それは私が35歳で起業した時、選び取った自由でもある。
ただしそれは、希望に満ちた自由ではなかった。むしろ、苦しみの中でしか選びようのなかった自由だったと、今は思い出される。
背水の陣で立ち、孤独の夜に耐えながら、なおも前に進まねばならなかったあの頃。
その中で選んだ自由は、誇りであると同時に、深い陰影を持つ“傷跡”でもあった。
そして今、求める自由はまた違っている。
“縛られない時間”。自分自身さえも解き放てるような静かな空間。”
そんな折、私は慶應義塾大学の安宅和人先生の著書に出会い、
そこで語られる「風の谷」という言葉に、深く心を打たれた。
各地で芽吹きつつある、人と自然と文化が響きあう「小さな全体」。
私はこの思想に共鳴し、自身の生き方にもその光を見出すようになった。
山梨、川崎、相模原、長野市、沖縄――
私はいくつかの“谷”を渡り歩きながら、スナフキンのように、風として問いを運ぶ。
そんな私にとって、唯一の「物理的でありながらバーチャルな場所」――それが響縁庵である。
ここでは、名を名乗らぬ者たちが、問いを交わし、やがて風として去っていく。
それぞれの谷に根づいた人々が日々を耕し、私はその間を抜けていく。
導かず、語らず、ただ耳を澄ませ、余白を残していく。
「風のように生き、響きを残す」。
それが、私の選んだ自由のかたち。
そしてきっと、かつて会長と語り合った「学校を作る」という言葉も、
この庵の思想に繋がっている。
教えぬ者が、火を起こす。
定着せぬ者が、縁をつなぐ。
名を持たぬ者が、文明をつくる。
そんな場所が、今、確かに立ち上がりつつあるのだ。