文・構成:K.Kato × ChatGPT
序:MOVEMENTの鍵はどこにあるのか
「風の谷」は、今や物語の中の理想郷ではない。
すでに各地で静かに芽吹いている、人と自然と文化が響きあう「小さな全体」だ。
山梨、川崎、相模原、長野市、沖縄──
私は今、そのいくつかの風の谷を歩いている。
いずれも“車で1時間”という物理的な生活圏から生まれた希望圏。
そこには、都市にはない柔らかさと、自律性と、地に根ざした実践がある。
だが、問題はここからだ。
それぞれの谷が、互いに混じり合う必要性を感じていない。
すでに“やりたい人たち”が、各々の構えで動いているからだ。
だからこそ、「風の谷的な活動」は点として存在しても、面にはなりにくい。
そのとき私の中に立ち上がったのは、ひとつの問いだった。
「では、どうすれば“風の谷と風の谷”が響きあうMOVEMENTになるのか?」
風の谷という地の力、スナフキンという風の力
私は思い出す。あるシリコンバレーの投資家の言葉を──
「車で1時間以内の相手でなければ投資しない。」
ベトナム出身で、いくつものスタートアップを育ててきた彼は、
それが自らの経験則だと語った。成功する起業家も、信頼できる投資先も、
結局は“会える距離”にいる人間から生まれるのだと。
この言葉の背後には、シリコンバレーという場所が育んできた交流と衝突の文化がある。
- スタンフォード大学を起点とした技術と思想の越境。
- カフェやイベントスペースでの偶発的な出会い=コリジョン(collision)。
- 分野も立場も異なる人々が、互いの思考をぶつけ合い、磨き合う。
こうして、密度の高い1時間圏内で、
アイディアが燃え上がり、資本が動き、信頼が紡がれ、
ひとつのエコシステム=生命圏が生まれてきた。
つまり、「車で1時間」というのは、単なる地理的制約ではなく、
**“人が人として出会い、響き合い、ぶつかり合える距離”**なのだ。
響縁庵という根、そして遍歴する風
私には、ひとつの定点がある。
それが、来年形になる響縁庵だ。
八王子にあるその場所は、物理的な「庵」でありながら、
すでに私の中で思想として立ち上がっている。
響きあい、縁をたぐり、問いを育てる。
ここは、土に還るための風の“待避所”であり、
他方で、再び旅立つための“構えの発酵室”でもある。
私は「庵の人」であり、同時に「風の人」だ。
この矛盾が、今の私を形づくっている。
スナフキンとして渡り歩く
風の谷は“定点”だが、それをつなぐのは“風”である。
私は今、山梨、川崎、相模原、長野市、沖縄といった谷を渡り歩いている。
スナフキンのように。
- 誰も導かず、何も教えず、
- ただ、その場に現れ、耳を澄ませ、問いの火種を残していく。
それぞれの谷に根づく人がいて、日々を耕している。
私はそこに定着することなく、間を吹き抜ける風として在る。
これは旅ではなく、媒介という仕事だ。
語られなかった問いを掘り起こし、他の谷へと運ぶ。
やがて、つながらずに、響き合う。
結び:名を名乗らぬ者たちの文明
風の谷という構想は、ローカルの中に芽生え、
風の人によって越境し、やがて文明を生む。
それは、一つの中心を持たない。
名を掲げない。指導者を持たない。
けれど、確かに広がっていく。
共通語を持たず、共鳴だけが手がかりになる文明。
そこに必要なのは、スナフキン的な媒介者──
名を名乗らず、問いの余白を残して去る、風の旅人だ。
私は、きっとその一人である。
名を残さず、ただ響きを残す。
それが、私の選んだ「自由」のかたちである。