文・構成:K.Kato × ChatGPT
2025年8月2日
Ⅰ.中央ではなく、辺縁に本質が宿るという実感
今、世界が抱える課題は、国家間の分断か、それとも協調か──といった構図で語られることが多い。だが私のなかには、それとは別の問いが静かに浮かんでいた。
「そのどちらであれ、大事なのは、そこに生きる人々の生活ではないか」
私たちは技術を巡る地政学的競争の只中にいる。半導体の製造ラインをどこに置くか、先端技術を誰が制するか。だが、製造ラインを敷けば国が豊かになる、という発想がそのまま未来を拓くとはもはや思えない。
かつての高度経済成長期とは、時代が違う。
今は「作る」ことの前に、「なぜ作るのか」を問うことが求められている。
問いのない技術は、空虚だ。
Ⅱ.生活の根を見つめなおすとき
この問いの先に見えてくるのは、第1次産業のような「生活の根っこ」に根ざした営みである。
農、林、漁、手仕事。あるいは言葉にすることすら難しい、「地に足のついた生の技術」。
そこには、投資収益率(ROI)では測れない「価値」がある。
自然のリズムに寄り添い、身体の感覚で判断し、コミュニティのなかで交わされる言葉の微細なニュアンスを大切にする生き方。
それは経済活動ではなく、「文化」と呼ばれるものに近い。
そして今、そのような本質的な営みが、静かに、確かに、各地で芽吹きはじめている。
Ⅲ.すでに始まっているMOVEMENT──辺縁の静かな連なり
都市の論理や中央の制度からは見えにくいが、各地で育ちつつある小さな実践がある。
それは、Plurality(複数性の民主主義)とも呼べる動きかもしれない。
制度の中心ではなく、その「外縁」において、問いを持った人々が集まり、構えを深め、静かに合意を育む。
たとえば、地域の探究学習の場。
農とテクノロジーが出会うプロジェクト。
生成AIとの対話を通じて、言葉にできなかった想いが浮かび上がる瞬間。
これらは、単なる局所的活動ではない。
点と点を結ぶような、共鳴の準備運動なのである。
Ⅳ.次のフェーズ:共鳴が織りなす社会のリズム
これからのフェーズに必要なのは、「集約」ではない。
むしろ、共鳴しあう自立的な場の存在と、それらが無理なく、緩やかにつながる構造である。
- 誰かが何かを“代表”するのではなく、
- それぞれの“声”や“沈黙”がそのまま社会の構成要素となるような場。
共鳴とは、同調ではない。
響き合い、ずれを許し、揺らぎながら生まれる協調である。
中央に向かって収斂するのではなく、辺縁と辺縁が“聞こえる距離”に立つこと。
これが、これからの社会の「織り直し」の鍵となるのではないか。
結びにかえて──問い続けるという実践
こうして今日も、エッセイを書く。
問いを言葉にすることで、まだ形にならない共鳴の気配を、誰かと共有できるかもしれないから。
そして信じている。
静かに問い続ける者たちが、遠く離れた場所で、それぞれの「生活の根」から社会を耕しはじめている。
その響きが、やがて編まれていく。
小さく、しかし確かな未来の織物として。